2019年2月4日月曜日

2019年1月27日

2019年1月27日 降誕節第5主日礼拝説教要旨
  「きれいなものではなく」 桝田翔希伝道師
    ルカによる福音書 21:1~9節
 「やもめの献金」という物語はよく知られたものですが、聖書日課では「神殿の崩壊を予告する」、「終末のしるし」も続けて指定されていました。やもめの献金だけ読みますと、自分の持っているものを全て神にささげ、お金ではなく神に信頼を置く生き方を教えられますが、この聖句は更に他のことも問いかけているのではないかと思います。
 イエスは福音書の中で「石」を用いたたとえ話をよくされました。イエスの職業について一般的には「大工であった」と言われることが多いかと思います。マルコによる福音書6章3節で故郷に帰り語ったイエスは「この人は大工ではないか」と言われて疑われています。「大工」を意味するギリシャ語は「オイコドモス」と言う単語で「家を建てる者」という意味があります。しかし、ここで「この人は大工ではないか」と言われた「大工」はオイコドモスというギリシャ語ではありません。「テクトーン」という単語で、これは石を切り・削り・掘るような職業を指すものであります。当時のユダヤ人が最も嫌った職業の一つでした(本田哲郎、2010年)。作業中に出る粉塵のせいで、健康被害があることが原因であったようです。日本ではイスラエルと違い石造の建築物はあまりありませんが、有名なものでは「国会議事堂」があります。外国に倣って石造りの立派な議事堂を造る事になったようです。国産にこだわった数十種類の石材が日本全国から集められて建造され、従事した労働者は200万人にものぼるようです。その中には多くの「外国人労働者」が利用されたそうです。
 エルサレムの神殿をダビデがどのように建てたのか、歴代誌22章が記録しています。賢者を意味する職人たちも多く集められたようですが、国内の寄留者も多く集められ、採石労働者、すなわち石を切る労働もありました。2レプトンを奉げる人がいる一方で、多額の寄付を喜び神殿の美しさにしか思いの及ばない人たちをイエスは見て、働き人の姿を思い出したのではないでしょうか。イエスは誰が石を削り、誰が粉まみれになっているのかを知っていたのです。現代の日本でも、不安定で便利な労働形態は増えながら、見かけの豊かさや綺麗さが追い求められています。しかし、神に従うことはそのような豊かさとは違うということをイエスは語っているのではないでしょうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿