2022年11月10日木曜日

2022年11月6日

 2022年11月6日 降誕前第7主日礼拝説教要旨

 「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」 小笠原純牧師

   ルカによる福音書 3:1-14節

 洗礼者ヨハネはなかなか恐ろしい言葉で、人々に悔い改めを呼びかけます。悔い改めて洗礼を受けようと思っている人々に対して、洗礼者ヨハネは「洗礼を受けることで、神さまの怒りを免れるというようなことを考えてはいけない」と言いました。そんな簡単なことではない。しっかりと悔い改めるのでなければ、それは悔い改めにはならない。悔い改めにふさわしく、神さまの御心にそって生きるということをしなければならない。斧はもう木の根元に置かれていて、悔い改めてしっかりと生き直さない人たちは、切り倒されて、地獄の火に投げ込まれてしまう。

 それを聞いた群衆は、「私たちはどうしたらよいのですか」と素直に洗礼者ヨハネにたずねました。洗礼者ヨハネはとても具体的にこうしたら良いよということを答えます。洗礼者ヨハネは群衆たちにできないことをしなさいと言ったわけではありません。できることを言っています。とくに徴税人や兵士に対してはそうです。規定以上のものを取り立てたり、金をゆすったりすることは、それはいけないことです。しかしそうしたことが世の中に蔓延し、悪いことではあるけれども、みんな「まあいいか」というふうになっていたということです。

 倫理的でない社会は、どんどんと貧しくなっていきます。倫理的でない社会は、滅んでいきます。人が倫理的でないのを見ていると、だんだんと自分も倫理的でなくて良いのではないかと思い始めます。洗礼者ヨハネの時代もそうしたことがあったと思います。「規定以上のものを取り立てている」徴税人をみて、「おれもしようかなあ」と思った徴税人がいただろうと思います。「金をゆすり取ったり」する兵士をみて、「おれもしようかなあ」と思った兵士がいただろうと思います。しかしそうした世の中にあって、洗礼者ヨハネは人々に、神さまの御心にかなうように、「倫理的に生きていこう」と呼びかけたのでした。

 【人は皆、神の救いを仰ぎ見る】。人はそんなふうにつくられているのだ。自分勝手な思いに引きずられてしまうような気がするときもあるけれども、しかし思い直して、神さまの救いを仰ぎ見ながら、みんなで歩んでいく。あなたが望んでいるような神さまの国が必ずくるから、あなたの思いにかなったすてきな世の中に必ずなるから。そのように洗礼者ヨハネは人々に呼びかけました。

 私たちも神さまの救いを仰ぎ見る歩みでありたいと思います。希望を持って、神さまの愛を信じて、歩んでいきましょう。


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