2020年11月20日金曜日

2020年11月15日

 2020年11月15日 降誕前第6主日礼拝説教要旨

    「見つけてしまう」 浅野献一牧師

      マタイによる福音書 13:44-44  節

 この神の国のたとえで一番に伝わってくるものは驚きと喜びです。偶然お宝を発見する驚き。そして本当に嬉しくて飛んで帰り畑を買ってしまう雇われ農夫。「宝」事体がいのちの言葉と愛、解放の姿。またこの見つけた人の心躍る姿・驚き躍動しながら帰っていく様が、まさに「天の国(愛の基本の世界)」の在りようを指し示しているたとえです。

 ここでは、自分の功績や業績、わたしの努力とは、全く別に、生の歩みの中に、宝=愛が隠されていると言われます。

 この宝箱を見つけてしまった農夫は、大喜びで今まで彼の生活の支えていたすべてのものを売り払って、その畑を買います。その意味は今まで頼ってきたいのちの基盤・人生でよって立つ基(もとい)を換えたということに他なりません。それは、わたしを支え、安心をもたらすと思っていたモノ(家・お金・土地・保証など)からの脱却・解放です。さまざまな縛り、思いわずらいから解き放たれて、新しい愛の埋まっている新しい土地で生きていく。信じあい、望みあい、愛しあうことを基本の世界に生きようとする。その内容は、信じることの平安さであり、望むことの明るさであり、愛することのまことの喜びといのちに他なりません。その解放は、またわたしの人生をわたし自身のものとして取り戻すことも意味しています。人生・いのちの主人は、組織や物やお金、保証ではなく自分自身です。

 わたしの人生も、わたしの目・人間の目からすれば、痛み多く、みすぼらしい、恥ずかしいばかりの人生にしか見えないかも知れません。土くればかりで、何も良いものはない貧相な地にしか見えないかも知れません。しかし、その地に、いや、わたしの人生にこそ、宝=愛=いのちが埋められていて、ある時輝きだすのです。

 むしろ人生の困難な痛む時にこそ、宝を見つけて、まことのいのちの道へと、本当の自分の道へと向かうことが出来るのかもしれません。その土くれに中にこそ、いのちは芽吹いてくる。いえ、もう既に「神の国」「愛の支配」は始まっている。

  主イエスは言われました。その「畑に宝が隠されている。」

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