2021年9月9日木曜日

2021年9月5日

 2021年9月5日 聖霊降臨節第16主日礼拝説教要旨

   「良き祈りをもって生きたい。」 小笠原純牧師

     マタイによる福音書 18:10ー20節

 夏のスーツを新しく買った時に、名前を入れてくれるようにお願いをしたのに、名前が入っていませんでした。わたしの心の中に意地悪な気持ちが起こってきます。スーツに名前を入れてもらうためには、わたしがスーツをお店に持っていかなければなりません。わたしの失敗でもないことで、わたしがわざわざお店に持っていかなければならないわけです。「それって、どうよ」という気持ちが沸き起こります。わたしが何も悪いことをしたわけではないのに、わたしの中に意地悪な気持ちが一杯になり、わたしはなんて意地悪な人間なんだということが明らかになるというわけですから、なんとも不幸な出来事であるわけです。しかし意地悪な気持ちに流されないようにしたいと思いました。

 イエスさまは「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい」と言われ、九九匹の羊と迷い出た一匹の羊のたとえを話されました。私たちは必ず自分が九九匹の側にいるという幸せな思い込みをもちます。しかしヨブ記のヨブのように、人はその人の善悪に関係なく、すべてのものが取り去られるというような苦境に立たされるということがあるわけです。

 またイエスさまは人に忠告するときは、配慮をもって行ないなさいと言われました。自分の怒りに引きずられて、みんなの前で攻め立てたりすることのないように。配慮をもって忠告をし、大切なのは、その人をやっつけることではなく、その人が悔い改めることであり、そして私たちが「兄弟を得る」ことなのだ。そのようにイエスさまは言われました。

 イエスさまは「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」「どんな願いごともかなえられる」と言われました。私たちはどのような願いをするのでしょうか。自分勝手な願い事をすることもできます。わたしだけが徳をする世の中であってほしいと願うこともできます。わたしの嫌いなあの人が、いやな目にあいますようにと願うこともできます。

 しかしそうしたことは、神さまの御心ではありません。「小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」のです。小さな者が大切にされ、やさしい配慮に満ちた世の中であることが、神さまの御心なのです。だから私たちは御国がきますようにと祈ります。神さまの御心にそう世の中になりますように。そうした良き祈りをもって生きていきたいと思います。


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