2025年9月28日 聖霊降臨節第17主日礼拝説教要旨
「おまゆう。そういうとこやぞ。」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 18:21-35節
「おまゆう。そういうとこやぞ」というのは、ネットの世界でときどき見る言葉です。「おまゆう」というのは、「お前が言うか」という言葉です。ですから「おまえが言うな」という意味です。自分もいいかげんなことをしているのに、人を批判したりする人に対して、「おまえが言うな」「おまゆう」というふうに使われます。「そういうとこやぞ」というのは、「おまえのそういうところがだめなんだ」というような意味で使われます。細かいことを見つけ出して、なにからなにまで批判するというのも、まあどうかとも思いますが、あんまりいい加減なことをしていても、それもまた困るわけです。やっぱり良識をもって生きていくということを心がけたいと思います。
イエスさまのところにペトロがやってきて、「わたしに対して悪いことをした人を何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」と尋ねます。イエスさまは「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」と言われました。「七の七十倍は、490回ですね」というようなことではなくて、「回数を数えたりするのではなく、とことん赦してあげなさい」ということです。「477回赦してやったから、あと13回だな」というようなことではなく、「数など数えるのではなく、赦して赦して赦して赦して赦してあげるのだ」ということです。
イエスさまはたとえを話されました。王さまから1万タラントンという国家規模の借金を帳消しにしてもらった家来が、自分に100デナリオン借金をしている仲間に出会います。しかし彼は仲間を捕まえて首を絞めて、「借金を返せ」と言います。彼はその仲間を引っ張っていき、牢屋にいれてしまいます。それをみて、その仲間たちはこころを痛めます。そして王さまに話しに行きます。王さまはそのように怒って、そして借金を返すまで、家来を牢屋に入れることにしました。「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう」ということを、私たちは忘れてはならないのだと思います。
赦しあい、支え合い、神さまの愛のうちを歩んでいく。人間ですから、「赦せない」という思いにかられたり、捕まえて首を絞め「借金返せ」というようなふさわしくないことをしてしまうこともあるかも知れません。それでも、神さまの愛のうちに自分が生きていることを思い起こして、悔い改めつつ歩んでいきたいと思います。