2025年11月2日 降誕前第8主日礼拝説教要旨
「静かに自らを省みる」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 7:14-23節
よいものは外から来るという文化や信仰が、日本にはあります。そして客人信仰などのように、外からやってくる人を歓待して迎えるという信仰があります。一方で、江戸時代末期の尊王攘夷運動のように、外からやってくる人たちに対して攻撃を加えるというようなこともありました。まあなんか外からやってくる人たち、自分たちと違う習慣や価値観をもつ人たちに対して、ちょっと不安な気持ちになるというのも、また人間の気持ちとしてはあるのだろうと思います。
聖書の時代にも、外からやってくるものが悪いものを持ち込んでくるというような考え方がありました。ユダヤの人たちは、自分たちは神さまから特別に愛されている民であるという気持ちが強かったので、異教徒と付き合うのは汚れたことだというような考えをもつ人たちもいました。
イエスさまは食べ物の話をされながら、「外から汚れがやってくる」、「外から悪い者がやってくる」と腹を立てている人たちに対して、ちょっと落ち着いて、静かに自分のことを考えてみるということをしたほうが良いと言われました。「みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚す」ものだから注意をしたほうがよい。いまのあなたの体や心の状態は大丈夫ですか。いま、あなたの心の中によくないものがあるのではないですか。すこし静かに自分のことを考えてみて、そして元の心持ちの良いすてきな自分に戻ったほうがよいのではないですか。私たちはすこし落ち着いて考えてみると、自分がもともと心持ちの良いすてきな人間であったことに気づきます。神さまが私たちをそのようにつくられたからです。
静かに落ち着いて自らを省みるということは、とても大切なことです。皆さんのご家族であり、私たちの信仰の先輩である方々も、そのように歩まれました。天におられる私たちの信仰の先輩たちは、神さまを見上げつつ、自らを省みながら、謙虚に歩まれました。礼拝に集い、讃美歌を歌い、聖書の言葉に耳を傾け、そして静かに祈りつつ歩まれました。
私たちも私たちの信仰の先輩たちがそうであったように、静かに落ち着いて自らを省みつつ歩みたいと思います。神さまに祈りつつ、神さまが創造された良き人として歩んでいきたいと思います。