2018年6月11日月曜日

2018年5月27日

2018年5月27日 聖霊降臨節第2主日礼拝説教要旨
「イエスの母」 金田義国牧師
  マルコによる福音書 3:31~35節
  ヨハネによる福音書 19:25~30節

私たちのプロテスタント教会はマリアをあまり大きく取り上げない癖があります。そこで今朝はマリアを中心に聖書から学びたいと思います。
私の心に焼き付くマリアの物語がふたつあります。一つ目は、プイと家出してしまったイエスにマリアが会いに来る場面です。イエスは一家を支える稼ぎ手であったことでしょう。しかしイエスは「神の御心を行うものは、誰でも私の兄弟姉妹であり母である」と言うのです。マリアはどれほどがっかりしたことでしょうか。ここにマリアの人間性を想像することが出来ます。
もう一つの場面はイエスの十字架のそばにマリアがいる場面です。ここではマリアの神性があります。第二次世界大戦の時、私は小学生でした。ある日母と電車に乗っていると、戦闘機が急降下してきて、「ダッ!ダッ!ダッ!ダッ!」と機銃射撃をしてきました。電車は急停車し、皆が大慌てで窓から外に逃げ出しました。すぐまた戦闘機が引き返してきました。その時、母は私に覆いかぶさり守ってくれました。「私は死んでも、この子には生きていてほしい。」この時「犠牲の母の姿」を教えられました。ローマの兵士たちが囲む中でマリアは「愛する息子を助けてやりたい」そう思ったでしょう。あれほどイエスを信じると言っていた弟子たちは逃げてしまいました。しかしマリアは、イエスが死ぬのを最後まで見守ったのでありました。ここにマリアの「犠牲の母の姿」を見ることが出来ます。すなわち、マリアは敗北と絶望を目の前にしながら「たたずむ勇気」を持っていたのです。
私たちはここから学びたい。人生には絶望や失望がある。その時マリアの「たたずむ勇気」を思い出しましょう。人生のどん底をじっと見つめましょう。十字架に耐える勇気です。そしてイースターが与えられるのです。それが復活の朝なのです。

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