2020年8月13日木曜日

2020年8月9日

 2020年8月9日 聖霊降臨節第11主日礼拝説教要旨

  「私たちのために十字架につき」 小笠原純牧師

   ヨハネによる福音書 6:41-59節

 先日、飼ってきた金魚が調子悪くなりました。それで金魚の病気を治すお薬を買いに行きました。店で金魚の病気を治すお薬をみて、値段をみると1200円でした。「1200円か、たしか金魚600円で買ってきたんだったなあ」と思いました。・・・。「オレ、ひどいやつやなあ」と思いました。わたしが命について、極度の経済合理性を求めることについて反対であるのは、わたし自身がとても合理的な考え方をする人間だからです。そしてその合理性というのは、やはりとても危険なことであると思うので、なおさら気になるのです。

 命は神さまに属することです。命の源は神さまです。人がいのちを作り出すわけではありません。人間が軽々しく踏み込んでいってはいけないところだと、わたしは思います。そして私たちクリスチャンは、イエス・キリストによって永遠の命へと招かれていると信じています。命は神さまに属する事柄なのです。

 人は人生の中で自分の罪に出会います。良き者でありたいと思いながらも、弱さのゆえに思うように生きることができません。自分勝手になったり、自分を蔑んでみたり、人のせいにしてみたり、自分や人を傷つけることによって、自分を保とうとしたりします。自分の弱さに出会い、そしてまさに自分は「死すべき者」であることに気づきます。自分は永遠なる者ではなく、神さまによって命を与えられ、そして神さまによって生かされているものであることに気づかされます。

 神さまは私たちのところに御子イエス・キリストを送ってくださいました。私たちの罪を贖う神の小羊として、イエスさまを私たちのところに送ってくださいました。イエス・キリストの十字架によって、私たちは神さまが備えてくださる永遠のいのちへの営みへと招かれています。

 イエスさまは「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている」と言われました。イエスさまの招きに応えて、主イエス・キリストを信じて歩みましょう。


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