2025年6月6日金曜日

2025年6月1日

 2025年6月1日 復活節第7主日礼拝説教要旨

「隠れたことを見ておられる神がおられる」 小笠原純牧師

  ルカによる福音書 24:44-53節

 ウォルト・ホイットマンの詩に「わたしはアメリカが歌うのを聞く」という詩があります。この詩を読んでいると、現代のアメリカの労働者の人たちの気持ちがわかるような気がします。神さまの祝福のもと、機械工が、大工が、石工が、船員が、靴屋が、木こりが、母親が、少女が、若者が、誇りをもって歌を歌いながら働くことができるような社会であってほしい。素朴なアメリカの人たちはそんな気持ちをもちながら過ごしているような気がします。しかしそうした気持ちにアメリカ政府は政策として応えてくれなかった、自分たちの声を聞いてもらえなかったという気持ちがあるのだと思います。

 イエスさまの弟子たちは、イエスさまが十字架につけられたときは、イエスさまのことを信じることができずに逃げ出す弱い人たちでした。しかしよみがえられたイエスさまに出会い、イエスさまから赦され、祝福を受け、神さまを信じて新しく歩み始めます。

 私たちの時代、とくに20世紀から21世紀にかけて、神さまを信じて歩むということが、だんだんと薄らいでいった時代であるような気がします。そして個人主義的な傾向が強くなり、自分の力で生きているかのような錯覚に陥ることが多くなったような時代です。自己責任が強調されるようになり、運良く時代の勝者になった人が自分の力でそのようになったと錯覚することが多くなり、困っている人、悩んでいる人の声に耳を傾けることが少なくなった時代であると思います。そして分断がすすみ、二つに分かれて、極端な対立をするということが多くなりました。ひと言で言えば、「神を求めない時代」と言えるかも知れません。自分の力で生きていると錯覚しているわけですから、神さまを求めることはないでしょう。しかしそういう時代であるからこそ、「神さまを求めて生きる」ということが、とても大切なことであると思っています。

 「隠れたことを見ておられる父が、あなたがたに報いてくださる。神さまが私たちのことを知っていてくださる。神さまが私たちの声を聞いてくださると思えるとき、私たちは対立ではなく、愛によって互いにわかりあう道へと導かれていきます。憎しみではなく、愛によって生きていく道へと導かれていきます。互いに声を聞きあい、互いに尊敬しあって歩んでいくことができます。

 来週は聖霊降臨日、ペンテコステを迎えます。神さまの霊である聖霊を待ち望みつつ、神さまにより頼んで歩んでいきたいと思います。


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