2026年6月5日金曜日

2026年5月31日

 2026年5月31日 聖霊降臨節第2主日礼拝説教要旨

「天からの祝福を受けて」 小笠原純牧師

  マルコによる福音書 1:9-11節

 『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』という映画の中で、アシュレイ・ジャッドという女優は、ハリウッドで大きな影響力をもっていた映画プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインを実名で告発するときに、「女として、キリスト教徒として」、告発しないわけにはいかないと言います。

 クレア・キーガンの「ほんのささやかなこと」という小説の主人公のビル・ファーロングも、アイルランドのカトリック教会と国家の犯罪を向き合おうとするとき、こう言います。「そこにある現実に勇気を奮って立ち向かうこともせず、長いこと、何十年も、下手したら一生すごしたうえで、それでもキリスト教徒を名乗り、鏡の中の自分とむきあうことなんておれにできる?」。

 日常生活のなかで、自分がクリスチャンであることが問われる出来事というのは、そんなにないわけですが、でもクリスチャンである私たちはときにそうしたことを考えざるを得ないときがあるわけです。そして「わたしは何者なのか」という問いの前に立つことがあるのです。

 「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」というのは、イエスさまの十字架への道を表わしています。イエスさまは神さまの御心に適う者として、神さまの独り子であるわけですが、私たちの世に来てくださる。そして私たちの罪のために、十字架についてくださいます。

 私たちはイエスさまのように、人の罪を贖うために十字架につくことはありません。ただ私たちには私たちにとっての神さまから託された歩みというのがあるわけです。そういう意味では、イエスさまに語られた、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という言葉は、私たちへ語られた言葉でもあるわけです。

 私たちはクリスチャンとして、自分を見たり、人を見たりするのではなく、神さまを見て歩みたいと思います。神さまがわたしを見ていてくださり、神さまがわたしを守ってくださっている。神さまがわたしを愛してくださり、わたしにふさわしい歩みを用意してくださっている。

 「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という励ましの言葉を胸に、神さまの霊である聖霊の力を信じて、イエスさまに従って歩んでいきましょう。