2017年7月3日月曜日

2017年6月18日

2017年6月18日 主日礼拝説教要旨
「主の平和を生きる」 宇野稔牧師
フィリピの信徒への手紙4章2~7節
 先ず2人の名前が挙げられています。この女性たちはかつては共に歩んでいたが、意見の違いから教会を離れていたようです。でも、パウロはこの2人を「支えて上げて下さい」と願うのです。もう一度イエスの前に戻れるようにと語っています。それに続いて「喜びの勧め」が語られますが、主において喜びなさいと云うのです。即ち、主イエスは私たち一人ひとりを愛して下さっているその事実に立ちなさいと語っているのです。
 私たちは哀しみや辛さを数えることは得意です。悔しさや不安で、眠れぬ夜を過ごすことも多々あります。しかし、パウロは「患難は忍耐を生み、忍耐は練達を生み、練達は希望を生む!」(ロマ書5:3~4)と云ったのです。この違いは何でしょうか。それは、パウロは愛されているという事を確信していたという1点です。だから「主はすぐ近くにおられます!」と語るのです。主において喜ぶこと、喜びの力とは、患難を希望に変える力なのです。憎しみを赦しに変える力なのです。
 キリスト者とは、その喜びの力を神からいただいていて、そして主の愛において希望を持つのです(6節)。「思い煩うな」は招きの言葉です。信仰に立って大胆に愛し、赦し、善を行うのです。そして私たちをその大胆な決断へと押し出す力、それが「祈り」です。パウロはどのような祈りをしていたのか、「感謝、願い、打ち明ける」という単語です。
 祈りには、私たちの目の前にあるどうしようもない現実を変える力があります。それでも変わらないかもしれませんが、自分を捉えて放さない心の鎖を解き放つ力があるのです。そこに神の世界が開かれていくのです。
 主に愛されていることを喜ぶこと、神の力を祈り求めること、それによって私たちは人知を越える平和と出会うのです(7節)。私たちの思いを越える平安の中に置かれるのです。そのことによって群れは守られるのです。


0 件のコメント:

コメントを投稿