2017年7月18日火曜日

2017年7月2日

2017年7月2日 主日礼拝説教要旨
「神の豊かな恵みの中で」 宇野稔牧師
フィリピの信徒への手紙4章15~20節
 フィリピ書の最後となりました。19節に「わたしの神」という言葉がありますが、これはパウロ独特の言い回しです。神のことを「わたしの神」というのは不遜のような気がしますが、パウロと神がそれほど日常的な密接な関係があるからで、言わば自然の流れで出てきているのです。19節に「必要なものは全て」という表現がありますが、私たちの多くの祈りは「必要なものを求めて」祈るのですが全て満たされているわけではありません。ここで云っているのは、自分が必要だということではなく、神が必要とされているものが与えられるということです。それこそ実は本当に自分が必要としていることだというのです。
 パウロの「必要なものは全て満たして下さった」という表現が素晴らしいのです。そこには「生きていてよかった」という充足感が表現されています。あらゆるものに優って私たちを充足させるものとは、神が必要として私たちに与えて下さるものなのです。それはこの地上のあらゆる宝に優るものなのです。だからパウロはその素晴らしさを「ご自分の栄光の富に応じて」と表現したのです。この宝はパウロが偉大な信徒だから受けることが出来たのではなく、教会に云っているのです。つまり、教会の人々に、私たちに告げられているのです。神は私たちにも御自身の栄光の富を分けて下さるのです。それは「キリスト・イエスによって」という言葉で表されています。神が私たちに与えて下さったものは何でしょうか。それは「生命」です。そして命を捨てても良いほどに愛するということです。必要なもの全て満たされていると感じながら生きるということが出来るのです。そして20節は讃栄の言葉です。パウロは神を讃える言葉で締めくくっています。
キリスト者の特徴を一言で云うと「喜び」ではないでしょうか。世界の中で「自分は神に愛されている」ということを他の人に先駆けて知っているのですから。ですから、「喜びなさい」と語られるのです。

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