2017年10月17日火曜日

2017年10月1日

2017年10月1日 礼拝説教要旨
「実際に御言葉に生きてみよう」 宇野 稔牧師
ルカによる福音書6:43~49節
 イエスは「良い実を結ぶのは良い木である」と43節で語ります。私たちは「果たしてどんな実を結んでいるのか」と考えます。パウロはガラテヤの信徒への手紙5章19節と22節(p.350)に肉の業と霊の結ぶ実のリストを上げて、どちらの実を結んでいるのかと問いかけています。ご自分の生き様で思い当たる言葉は肉の業に分類されていることの方が多いのではないでしょうか。イエスは45節で「あなたの心の倉に何が納まっているか」と云います。「倉」は最も大切にしているものをしまっておく所を意味しますから、心の深いところであなたが本当に大切にしているものは何か、もし心の倉にイエスが納められているなら、必ずや良い実を結ぶことになるでしょう。
 私たちがあくまでも自分に固執するなら、私たちの結ぶ実は肉の業となってしまうのです。私たち自身は貧しい枝ですが良い木につながることで良い実を結ぶことが出来ます。問題は私自身が良いかどうかではなく、良い木であるイエスにつながっているかどうかなのです。イエスにつながるということは、イエスと対話しながら生きて行くということです。その事が詳しく書かれているのが46節からの「主よ主よと呼びながら、何故私の云うことを行わないのか」という言葉です。「御言葉を聞いて行うものと御言葉を聞くだけのもの」それはほとんど同じ体を持っているけれど迫害という危機的状況の中では、全く違ったものになっているということです。
 御言葉を実際に生きてみなさいというのです。御言葉を信じてその通り生きてみるということです。すると御言葉が真実であることが解り、神の言葉には力があり、神のご臨在が体験できるのです。その体験によって私たちは確信と希望をもって将来へと向かうことが出来ます。「敵を愛しなさい」ルカ6:27~(p.113)と聞きます。私たちの心に蒔かれたのです。それを実際に生きるのです。そうすれば実るのです。

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