2017年10月9日月曜日

2017年9月24日

2017年9月24日 礼拝説教要旨
「君の友だち、イエス」 宇野 稔牧師
ルカによる福音書5:27~32節
 レビという人が弟子に召されていますが、この人は一生懸命イエスの話を聞いた人ではなかったのです。むしろ仕事を優先して収税所に座っていたのです。即ち、徴税人であったのです。彼はユダヤ人でありながら、ローマの手先となって働き、ローマに納入するための税金を取り立てていたのです。ユダヤ人から罪人とみなされており、住む町の中で仲間はずれとされ、社会の中では一番孤独であったのかもしれません。イエスは、この孤独のレビ人に「わたしに従いなさい」と云い、この徴税人を弟子にしようと仰ったのです。レビはイエスの為に盛大な宴会を催したとあり、イエスとの出会いが非常に嬉しかったに違いありません。
 そんな時にもファリサイ人たちは罪人と食事をするイエスを非難しました。これに対しイエスは「わたしが来たのは正しい人を招くためではない。罪人を招くためだ」と云います。イエスの目的は罪に苦しむ人、その罪から解放して心から楽しめるように、心から愉快に過ごせるようにすることだと云われたのです。罪人と共にイエスが祝宴を設けられた。これは実は、教会の様子を表現したのだと思います。教会とは、罪人がイエスと出会い、イエスの後に従い、そしてそこに共にいて下さるイエスを知り、喜んでいるそんな所なのです。
 イエスにとって罪人とは、道徳的に劣った人たちや、律法に従えなかった人たちを意味した言葉ではありませんでした。それは疎外であり、孤独であり、その中で苦しんでいる、そのような状態を罪と呼ばれたのです。私たちは良い友人に恵まれています。しかし、その人が如何に素晴らしくても、その手が届かない時もあります。淋しい自分を発見します。しかしその時、イエスは語りかけるのです。「私があなたの友人となろう」イエスは私たちに語りかけられるのです。イエスの生涯は初めから最後まで罪人の友でありました。孤独に苦しむ人を愛し続け励まされました。そして今も、私たちの真の友として愛し続けておられるのです。

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