2018年9月3日月曜日

2018年8月19日

2018年8月19日 聖霊降臨節第14主日礼拝説教要旨
  「神の国の情報は信仰によって」 佐藤博牧師
   ヨハネによる福音書 2:1~11節
 私たちはヨハネ福音書の初めに登場する奇跡物語によって「神の国」とは何かを教えられます。イエス様は、私たちの営み生活の只中に足を踏み入れて下さいまして、そこに必要な物、無くてはならない物を与えてくださいます。今日も「神の国」は近づいた(マルコ1:15)と語って下さって、その恵みと救いに与らせようと招いて下さっています。私たちはこの「神の国」の情報を教会も信じる者も、あまりにも知らなさすぎるのではないでしょうか。逆に「人の国」の情報のみが溢れているという現実に教会は「神の国」の無知、その恵みに生かされ、神の与えて下さる喜び、命が余りにも貧弱である現実に見舞われています。
 このイエス様による水をブドー酒に変えられる神の国の奇跡は、唯「水がめに水をいっぱい入れなさい」(7節)のお言葉に、マリアの勧め(5節)もあって、その家の「召使たち」(7節)は大変な困難の中、黙々と従いました。困難や課題に直面した時、私たちはイエス様の前に出て、イエス様よりのお言葉を聞こうとするでしょうか。自分や教会の手の中にお金や力を数えるか、人や国が助けてくれるかどうかで、終わってしまうのではないでしょうか。百人隊長が僕の癒しを願って「ただひと言おっしゃってください」(マタイ8:8)とのイエス様のお言葉をひたすら求める信仰を持たせていただきたいものです。信仰(ピスティス)はペイソー(説得する)からきています。イエス様のお言葉により、本当に救われた、助けられた、喜びを与えられたという、お言葉の真実に説得されるまでイエス様のお言葉に近づきたいものです。
 「この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された」(11節)とありますように、今日も私たちの生活の場、教会の営みの場に、イエス様の栄光が現れ、イエス様の「しるし」は継続しています。ただイエス様とそのお言葉への信仰、即ちカール・バルトが残しています「神の言葉に対する聴従」が希薄になっているようです。

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