2018年10月1日月曜日

2018年9月16日

2018年9月16日 聖霊降臨節第18主日礼拝説教要旨
 「どこにもいかんといてね~共におられる神さま」 小笠原純牧師
  マタイによる福音書 28:16~20節
 本日は、敬愛する平安教会の皆様と、礼拝を守ることができ、とてもうれしく思います。
わたしの母はアルツハイマー認知証で、18年前に天に召されました。わたしの父は長い間、その母の介護をしました。わたしはこの10数年間の、父と母の生活を見ながら、なにか大きなことをなし得るということよりも、誠実に人生に向き合って、目の前にいる大切な人とともに、精一杯生きていくということに、人生のかけがえのなさというものがあるような気がしました。
 わたしが帰省したとき、父と母と三人で川の字になって寝ていると、夜中に母が目を覚まして、起き上がって、こう言いました。「おとうさん、どこにもいかんといてね」。母はだんだんと記憶がなくなってきて、何もできなくなっていくのです。記憶がなくなるわけですから、みんな自分を置いて、どこかに行ってしまうような気持ちになるのでしょう。父は「どこにもいかんから、さあおやすみ」と言いながら、起き上がっている母を寝かせてあげていました。
 わたしは折にふれてこの小さな出来事を思いだします。そして父が「どこにもいかんから、さあおやすみ」という言葉の通り、母が帰天するときまで母と共にいたこと。そして「共にいる」ということの大切さ。また「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という御言葉の確かさを思い起こします。神さまは確かに、記憶がなくなり恐れと不安の中にあった母と共にいてくださいました。
 人生の中で、私たちはいろいろな出来事に出会います。とても悲しい出来事に出会うときもあります。とてもつらい出来事に出会うときもあります。そんなとき、だれか、わたしのそばにいてほしいと思えます。そばにいる人に「どこにも行かないでね」「どこにもいかんといてね」と言いたいときがあります。
 聖書は私たちに告げています。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。イエス・キリストは私たちに約束してくださいました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。私たちの救い主であるイエスさまは、どんなときも私たちと共にいてくださいます。私たちはこのことを信じています。どんなときも、私たちと共にいてくださる、イエスさまと共に、こころ平安に歩んでいきましょう。

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