2019年2月19日火曜日

2019年2月10日

2019年2月10日 降誕節第7主日礼拝説教要旨
  「卑怯に使った安息日」 桝田翔希伝道師
    ルカによる福音書 6:1~11節
 日本基督教団で2月11日は「信教の自由を守る日」とされています。神武天皇が即位したことに由来してなのか、日本の法律ではこの日を「建国を偲び、国を愛する心を養う」為に建国記念日とされています。この日を覚えて、政治の思惑にとらえられない信仰、そして平和を祈りましょう。そんな中で読んでいただいた聖書箇所では、イエスが安息日を批判している場面でした。イエスが、当時の安息日の守り方を批判する場面は、福音書の中で度々語られています。結果的にこれらの行為が原因で死刑に処されたわけですが、なぜこれほどまでに当時の安息日を批判したのでしょうか。
 安息日の起源を考えてみますと、申命記には「奴隷や家畜」もこの日には休んでもらわなくてはいけない、と宗教的な側面だけではなく、社会的な意図を読み取ることができます。しかしイスラエルが戦争のせいでバビロン捕囚という経験をする中で、目には見えないけれど自分がユダヤ教徒であるアイデンティティの為に安息日は様々な意味が付け加えられたと推測できます。さらにイエスが生きた時代には、安息日に様々な解釈が付け加えられ、他人を裁く道具になっていたことがこの聖書箇所からもうかがい知ることができます。イエスはここで、本質からかけ離れた安息日の守り方を批判しているのではないでしょうか。
 環境問題が叫ばれる今日にあって、私たちはなるべく環境にやさしいものを使おうと心がけています。しかし、環境問題にも言及する神学者ジョン・コッブJr.は、GDPなどの指標が追及される中で、それぞれの分野が孤立化し、全体状況への無責任が生じていると警鐘を鳴らしていました。具体的には、風力発電機など、環境に良いとされるもの一部は製造過程において、大量の放射性廃棄物を生み出す現状があるのだそうです。複雑化した社会の中で、それら一つ一つを自分で見分けるということは安易ではありません。しかし聖書に立ち返りイエスの姿を見ると、複雑化し自らの考えを押し付けるかのように利用されていた安息日規定を批判しながら、大事にしたのを自分の前に立たされた人間でありました。様々な思惑の中でも、日常の中で一つ一つの出会いを大切にしなさいと、イエスは語っているのではないでしょうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿