2026年6月7日 聖霊降臨節第3主日礼拝説教要旨
「この人をみよ」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 1:29-39節
「自分を会員にするようなクラブの会員にはなりたくない」(映画『アニー・ホール』)。なんとも屈折した感情です。自分は自分のことが嫌いであるわけです。ですからこんな自分を会員として認めるようなクラブはろくでもないクラブだから、そんなろくでもないクラブには入りたくない。
この言葉は教会と似ているところと似ていないところがあります。自分のことを良い人だと思っていないところは似ています。でもちがうところは、私たちはやっぱりそれでも「このクラブの会員になりたい」という思いをもっている点です。神さまは「あなたのような人でも、わたしはあなたを愛している」と、私たちを受け入れてくださっています。私たちは自分を会員にするようなクラブであったとしても、やはりどうしてもこのクラブの会員になりたいと思うのです。
イエスさまのことを慕う人々がどんどんどんどんイエスさまのところに集まってきます。イエスさまは、はじめはたまたま出会った汚れた霊に取りつかれた男をいやされます。そして次にイエスさまはペトロのおつれあいのお母さんをいやされる。身内の人をいやされたわけです。そしてこんどはカファルナウムの人々をいやされます。
讃美歌21−280の「馬槽のなかに」は日本の讃美歌です。この曲の作詞をした、由木康は讃美歌学者です。イエスさまのご生涯をとてもうまく表している讃美歌となっています。この「馬槽のなかに」という讃美歌で繰り返し出てくる言葉は、「この人を見よ」という言葉です。この「この人を見よ」という言葉は、キリスト教において特別な言葉で、絵画などでもよく題名になっています。「この人を見よ」という言葉は、総督ピラトが言った言葉です。
私たちは総督ピラトから、イエスさまのことを「この人を見よ」と言われているわけですから、なんとも不思議なことだと思います。洗礼者ヨハネから「この人を見よ」と言われたら、「そうですね。ほんと、そうです。すみません」というような思いになります。しかし私たちは総督ピラトから「この人を見よ」と言われています。「ピラト、あなたに言われたくはないよ」と思えるわけです。
しかし大切なのは「この人を見る」ことなのです。私たちの救い主イエス・キリストをしっかりとみて、希望を持って歩んでいきましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿