2017年9月11日月曜日

2017年8月27日

2017年8月27日 主日礼拝説教要旨
「良物件」 桝田翔希伝道師
マタイによる福音書 12章43~45節
福音書の中でイエスは様々な奇跡を起こします。目の見えない人を癒したり、悪霊を追い出したり、様々な奇跡が福音書の中で語られています。福音書の中で、イエスの奇跡は一瞬でなされることが多いです。しかし、この聖書箇所でイエスはそのような奇跡によって悪霊が出て行ったとしても、その後のことの方が本当は大切なのだと語っているのではないでしょうか。44節では家の中は整えられていたとありますが、この「整える」という言葉は、飾り立てるとも訳せます。私たちは普段、自分をよく見せようとしたり、プライドや誇りを持ちながら生きていることは、当然のことと言えると思います。しかし、この箇所では自分を飾り立てたりよく見せようとすることは結局、中身が空っぽで悪魔の住むことが出来る良い家になってしまう、何かが最後まで住み続けていないといけないと語るのです。
沖縄に生まれ反戦活動に取り組まれた阿波根昌鴻さんは、伊江島に農民学校を創ろうとしていた中で沖縄戦が起こり、息子は死に、学校を立てようと思っていた土地は米軍に取られました。彼はそのような中で、反戦地主という活動に取り組みました。米軍に奪われた土地を軍用地として契約することに対して反対する活動です。そのような反戦地主に対して政府はあの手この手で圧力をかけ、復帰当初は3000人もいた反戦地主はわずか5年の間に400人足らずまで減ってしまったのです。そんな中で阿波根さんは「ただ一人でも最後まで耐えるなら、勝利は絶対確実である」と語り、不屈の精神を貫き通したのです。
年々、クリスチャンの人口が少なくなっているこの頃にあって、教会以外の生活の場で私たちはマイノリティになります。しかしそんな状況でも、自分が最後の一人になったとしても、自分を飾り立てて良い家に見せるのではなく心に何を宿すのか、何を貫くことが出来るのかということが問われているのではないでしょうか。

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