2018年1月15日月曜日

2017年12月31日

2017年12月31日 降誕節第1主日礼拝説教要旨
 「ナザレ人と呼ばれる」 山下 毅伝道師
 マタイによる福音書 2:13~23節
 妻マリアの聖霊による懐妊は、ヨセフにとって大変な苦悩をもたらしました。その時代のユダヤの法律では、マリアにとって、石打の刑に当たるものでした。ヨセフはただ神様を信頼し、全てをゆだねます。「御子の誕生」という、最高の喜びに満ちた出来事を守られます。
「救い主の誕生」を知った、その頃ユダヤの地を支配し暗黒政治を行っていたヘロデ王は、二歳以下の男の子ども達を一人残らず殺してしまいます。その残虐を神様の導きによって知ったヨセフは「幼子イエス様」と、マリアとともにエジプトに逃れます。ヨセフは、この世の中の政治の矛盾に満ちた現実の中で、神様の指示に従って、ただ服従して従って行きます。ヨセフはただ黙って従っているように見えますが、心の中には大変な戦いがあったと思われます。神の言葉に従う、信仰の歩みは、私たちにとっても戦いの歩みです。
イヌイット(日本で昔エスキモーと呼称していたアラスカ先住民)の人々の伝道のために、殉教した一宣教師がいました。その地には飢餓に苦しむイヌイットの人々が、期限をきって、イヌイットの人々に食料である「鯨」を与えるように要求します。宣教師は必死になって祈りますが、「鯨」は期限までに与えられません。宣教師は崖から突き落とされ、死んでしまいますが不思議にその死体のそばに「鯨」が一頭、イヌイットの人々に与えられました。この奇跡に、イヌイットの人々は宣教師が仰ぐ神様に改宗します。宣教とはこんなに厳しいものだと思います。イエス・キリストは現在も生きて、私たちのそばにいてくださることは、私たちの救いであり慰めです。ヨセフ達は、神様の導きによりナザレの地に住みます。ナザレはその頃のユダヤの地においては辺境の地であり、田舎の地です。しかし、その地名はイエス・キリストの低さ、謙遜さ、を表わす地名です。私たちは、謙虚に、主を仰ぐとき私たちの魂の中にイエス・キリストは住まわれ、私たちは生きる勇気を与えられます。

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