2017年5月8日月曜日

20171年4月23日

2017423日 主日礼拝説教要旨
  「キリストは復活した」 宇野 稔牧師
   マルコによる福音書1618

 週の初めの日に3人の女性がイエスの埋葬された墓に行きます。葬りをするために香油を塗りたいと願ったのでしょう。しかし、イエスの墓は大きな石でふさいでいたので「誰があの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合いながら墓に向かって行きました。すると、その石が横に転がしてあったので、驚いた女性たちは急いで墓の中へ入って行きます。
 すると若者が右手にいて67節と語ります。女性たちは震え上がり、パニックになり何も云えなくなります。それは恐ろしかったからだと聖書は語っています。
 今日私たちは、復活が実に恐ろしい出来事であると云うことを心に刻みたいものです。イエスの十字架は私の罪であり、イエスを見捨てたのも、裏切ったのも、十字架につけろと叫んだのも実は私自身だという現実に向き合う時、復活が「恐ろしい」出来事になるのではないでしょうか。
 それは復活という出来事が、私たちの理論をはるかに超える出来事であり、そして「この世界の真の支配者は私である」という神の宣言であるからです。
 人は「私は神を信じている」と言いながらも、心の底では自分を恐れています。その人間の思いがイエスを十字架につけたのです。復活は「真の支配者は神である」ということを決定的に見せつけたのです。私たちは間違った生き方をしていたのです。
 恐ろしい間違いを犯してしまったのです。その思いが女性たちの「恐ろしい」という思いではないでしょうか。
 しかし、驚くべき福音はここから始まります。真の支配者である神が愛の方だということです。主が「あなたの罪を全て赦す」と宣言して下さる方だということです。世界がひっくり返るような喜びです。復活と出会うということは、自分の罪と出会うことです。どうしようもない哀しい自分の姿と出会うことです。しかし復活の主は、その私を愛して下さるということこそ、私たちを救う良き知らせ、福音なのです。                                                                

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