2017年1月9日月曜日

2016年12月25日

2016年12月25日降誕日 礼拝説教要旨
  「人の正しさは神の真理ではない」宇野 稔牧師
   (マタイによる福音書1章18〜25節)

 ヨセフは実直な大工として生きる中でマリアと結婚し、平凡でささやか ながらも幸せな家庭を夢見ていました。
 クリスマスはその夢を打ち砕く出来事として彼のもとに訪れました。 「マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」。ヨセフの心の中には、マリアに対しての疑いが重くのしかかります。「ヨセフは正しい人であったので」。そこで彼が選んだ道は密かにマリアとの婚約を解消することでした。罪を公にせず彼女と別れる決意をします。その「正しさ」に対して聖書は大きな問いかけをします。ヨセフにとっては、自らの正しさを貫徹するために縁を切ることが「正しさ」であり、最大限の思いやりであると考えます。しかし、聖書の教えは如何なる理由によっても人と人との関係を断ち切ることを認めません。一方マリアは自分の身に起こったことに対して一言の弁明もせず、ただじっと耐えているかのように沈黙します。
 神の独り子イエス・キリストの母となるという選びと責任の重さにこの名もない娘は一人では耐えられない。マリアにとっては、恵みというにはあまりにも重すぎるのではないか。今、ヨセフに必要なことは、マリアの石打の刑から守ることではなく、彼女を信じて自らの生活の中に受け入れ、彼女を支え、歩みを共にすることであったのです。
 ヨセフが大切に守り通そうとする「正しさ」がそれを拒むのです。ヨセフは「恐れずマリアを迎え入れなさい」との神のことばを聞きます。ヨセフにとって自らの「正しさ」を根底から揺さぶられる問い掛けでした。本当の正しさとは彼が持っている選択肢を超えた全く新しい道への招きなのでした。
 ヨセフは神の命じた通りに、マリアを妻として迎えます。この決断と行動において新しい生き方を発見します。自分の正しさを打ち砕くことは何と 困難なことか。しかし、苦しみ呻きの中から真の正しさは生まれるのです。彼女と共に生きよ。自分を必要としている者を発見し、共に歩む決断をせよ。最も恵みを受けたのはヨセフかもしれません。

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