2026年8月23日 聖霊降臨節第14主日礼拝説教要旨
「暴力の支配は終わり」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 12:1-12節
戦争というのは、簡単には終わらないもののようです。イランとアメリカの戦争終結の覚書も計画通りには進んでいません。ロシアとウクライナの戦争も続いています。私たちの世界はとても暴力的な世界になりました。このことについて、アメリカやロシア、中国といった大国の責任というのは大きいと思います。アメリカのトランプ大統領が行なった、ベネゼエラに対する軍事作戦は国際法上許されることのないものです。力でもって、暴力的に解決していくという大国の態度は、私たちを不安にさせます。アメリカがやるのであれば、ロシアもやる。アメリカがやるのであれば、中国もやる。というような感じになってくると困ります。そろそろ大国が悔い改めて、まともな国になってほしいと思います。
イエスさまのたとえである「ぶどう園と農夫のたとえ」は、なんとも暴力的な話です。僕たちは殴られ、侮辱され、殺されます。愛する息子も殺されます。そして農夫たちもまた殺されます。救いようのない人間世界の様子が語られています。イエスさまは「さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない」と話されました。しかし神さまはそのようにはなさいませんでした。救いようのない暴力的な世界に対して、暴力でもって解決をされるということを、神さまはなさいませんでした。神さまは暴力的な世界に対して、神さまの愛を示されました。神さまは神さまの愛によって、暴力の支配を終わりにされたのです。それがイエス・キリストの十字架と復活の出来事なのです。
私たちは神さまの愛のなかに生きています。私たちは神さまの許しのなかに生きています。私たちは邪な思いをもちますし、人を傷つけたり、人のことをねたんだりもします。神さまの前に恥ずかしい思いを、心の中のもつことも多いです。しかしそれでも神さまは私たちを愛してくださり、私たちに寄り添って下さいます。
暴力的な世の中に生きていると、暴力的なことがふつうになってしまいます。少々うそをついてもいいじゃないか。みんなやってることだよ。というような思いになってしまいます。しかし暴力的な世の中だからこそ、少しでも神さまの愛を示していける歩みでありたいと思います。私たちは神さまの愛によって生きています。神さまの愛をゆたかに感じて、神さまの民として歩んでいきましょう。