2026年6月21日 聖霊降臨節第5主日礼拝説教要旨
「きこうとしないわたし」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 6:1-13節
宇多田ヒカルの「荒野の狼」という曲は、仲間内に閉じこもって、自分たちだけが正しく、人を非難することで自分たちが安心するといった人間の姿が歌われています。「惚れた腫れた 騒いで楽しそうなやつら そうだそうだ お互いを肯定する輩 まずは仲間になんでも相談する男 カッコいいと思ってタバコ吸う女の子 偽物の安心に悪者探し 私たちには関係ない」。
仲間がいるということはとても楽しいことだし、わくわくすることでもあります。わいわいとやっていくことができれば、とても力になります。でも仲間内で固まることなく、開かれた形で、いろいろな人たちと交流するというのは、なかなかむつかしいことだなあと思わされます。
イエスさまも故郷で、イエスさまのことを受け入れようとしない人たちに出会いました。弟子たちもまた弟子たちのことを受け入れてくれない人たちに出会うことがあるかも知れません。自分が大切にしていることを一生懸命に伝えるのに、だれもそのことに関心を持ってくれないのは、なかなかさみしいことであります。ですから腹が立ってきたりするようなことも起こります。怒鳴ってみたり、人のことを悪し様に言ってみたい気持ちになってくることもあります。でもイエスさまは弟子たちに、そうしたことをするのではなく、ただ「足の裏の埃を払い落として、その町を出て行きなさい」と言われました。過剰に反応して、腹を立てたりするのではなく、たんたんとそのこと受け入れて、次のところに進んでいけば良い。そうするとまたあなたたちのことを受け入れてくれる人たちがいる。
仲間内で固まって、他の人の意見を聞こうとしないというのは、それはまた私たちの姿でもあるわけです。私たちもまたイエスさまの故郷の人たちや、イエスさまの弟子たちを受け入れなかった町の人たちのように、自分たちの世界に閉じこもって、外からの声に素直に耳を傾けることができなかったりすることがあるわけです。
神さまの愛に守られて、私たちもまた愛に満ちた歩みでありたいと思います。人のことを悪く言ったり、自分の考えだけが正しいというような思い込みにとらわれるのではなく、どうすれば神さまの愛に応えることができるのかを考えながら、謙虚に歩んでいきたいと思います。