2026年8月9日 聖霊降臨節第12主日礼拝説教要旨
「こどものように」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 10:13-16節
平和聖日に向けての早天祈祷会で『平安教会100年史』の戦争中の箇所を読みました。1941年6月6日には内山完造が「支那事情講演会」の講師として講演したと書かれてあります。内山完造は上海で内山書店を立ち上げ、中国の作家である魯迅と交流の会った人でした。
魯迅の作品に、『狂人日記』という作品があります。ある男の人が自分が食べられるのではないかと思い始めます。そして自分もまた人を食べたのではないかと思うようになります。この『狂人日記』というお話で、魯迅が言いたかったことは、世の中の人が、人を人として見ないで、人を物として見ている。人を自分が利用するための道具としてみている。そういう人と人とのあり方が、人を食べているということです。
『狂人日記』の最後は「人間を食ったことのない子どもなら、まだいるかも知れぬ?。子どもを救え・・・」という言葉で終わります。これはこのお話を書いた魯迅が、こんな人が人を傷つけ合って成り立っている社会、人を食っているような世界がなくなってほしい。そしてそうした世界に染っていない子どもたちに、人を食べるような世界ではない、人が互いに傷つけ合っているような社会ではない、人が助け合って、人が支え合って生きていく社会をつくりだしてほしいという願いが込められています。
イエスさまは「子どもたちのように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」と言われました。大人たちは人を役にたつとか役にたたないというようなことで人を見ることが多いけれど、子どもたちはみんな神さまから愛されている大切なひとりひとりとして見ることができると、イエスさまは言われます。また大人は「世の中こんなもんだ」というふうに人を食べるような世の中を認めてしまいますが、しかし子どもたちは神さまの愛にふさわしい世の中を求めようとします。イエスさまは子どもたちを祝福しながら、この人が人を食べるような世の中に負けることなく大きくなってほしい。そして人を傷つけ、苦しめる、人を食べるような世の中を、神の国へと変えてほしいと思いながら、子どもたちを祝福されました。
イエスさまは子どもたちを祝福されたように、大人たちに対しても、やはり招いておられます。こどもたちのように、神さまの国を求めて生きなさい。イエスさまはそのように私たちを招いてくださっています。