2026 年 2 月 1 日 降誕節第6主日礼拝説教要旨
「命の種は広がっていく」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 4:1-9 節
京都教区と韓国基督教長老教会大田老會との交流の実務者会議で、先週、韓国に行ってきました。会議が終わったあと、ソウルにある京東教会を見にいき、夕礼拝に出席してきました。礼拝は韓国語で行なわれていましたので、話されている内容はわかりませんでしたが、パイプオルガンの奏楽や独唱もあり、とても豊かなときを過ごすことができました。
礼拝学者である今橋朗牧師は、礼拝の中で行われていることで一番大切なのは、聖書朗読だと言っておられます。聖書の御言葉には力があって、私たちがその御言葉をしっかりと聞くときに、その御言葉は豊かな実を結びます。それは礼拝という場にとどまらず、私たちの生き方を変え、私たちの世界を変える力になるのです。
私たちはしっかりとイエスさまの御言葉を聞かなければなりません。しかし私たちはいい加減ですから、そんなに一生懸命に御言葉を聞くことができるのだろうかという思いもいたします。私たちは自分のいいかげんさというのをよく知っています。私たちは道端のようなものであり、石だらけの土地のようなものであり、茨が生い茂った土地のようなものです。サタンが来て、御言葉を奪い去ってしまう。御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉をふさいで実らない。まあ、イエスさまは私たちのことをよく知っておられます。
イエスさまは同じ種のたとえですが、マルコによる福音書4章 26 節以下に、「『成長する種』のたとえ」「『からし種』のたとえ」という話をしておられます。「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」とありますように、神の国は人の思いを超えて広がっていくと、イエスさまは言われました。ちいさなからし種が大きな枝を張り成長するように、命の種は豊かに実を結び広がっていく。私たちがどんなにだめな人間であったとしても、イエスさまの御言葉は、私たちの思いを超えて、広がっていきます。
弱さやいいかげんさをもつ私たちですけれども、私たちもまた聖書の御言葉をしっかりと聞く者でありたいと思います。心を傾けて、しっかりと御言葉を聞くときに、私たちは新しい者へと変えられていきます。聖書の御言葉は、私たちをキリストへと導いてくださいます。御言葉の力を信じて、しっかりと聖書の御言葉に耳を傾けましょう。