2018年9月18日火曜日

2018年8月26日

2018年8月26日 聖霊降臨節第15主日礼拝説教要旨
  「泣きながら、後ずさりしつつ神の国」 髙濱心悟牧師
   ルカによる福音書 14:15~24節
◇苦しいことや辛いことから遠ざかることができるように、我々は自然と「無難」を祈り願うものです。しかし、思い通りになることはほとんどない、というのが、6年間の牧会で得た学びでした。様々な欠乏や困窮を抱えながら生きる私たちは、不足を満たしたいですし、出来る事なら何ものにも困らず生きて行きたいという願望を持つのです。
◇教会も一緒です。教会が財政難なら、お医者さんや社長さん、お金持ちのたくさん献金してくれる人が来てほしいものです。働き手がいなければ、若い人たちにたくさん来てほしい。でも、それは、「私」の願望であって「神の国」ではないのです。私たちのいう事を何でも聞いてくださる神様は、神様ではありません。
◇「神の国」というのは、そういった、我々の願望の延長線上にあるのではありません。むしろ、その願望や、わたしの思いというものが断絶される場所です。それを私たちは拒否するのです。言い訳する。そして、後ずさりして、そんな所に行くのは嫌だいやだと言い、泣きながら強引に連れられて行かれるところが神の国です。自分の意志や良心や正義感で、そこに行ったり、形作ったりするのではなくて、むしろ、失敗や、悲しみや、様々な挫折の結果として招き入れられていく先に、神様のみ旨があるのです。そこに本当に良いものがあるのだ、そこが、一番素晴らしい宴の席だ。そう信じ、自分の願いや希望とはかけ離れたところに立たされるとしても、それが「この身になりますように」と祈ることが、我々に求められている、主イエスへの応答の業ではないでしょうか。
◇泣きながら、後退りしつつ、それでも引きずられるようにして連れて行かれる所、そこが、神の国です。神様が私たちのために用意しておいてくださる宴席なのです。私たちはそこに、呼ばれ、招かれているのです。

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