2023年7月9日 聖霊降臨節第7主日礼拝説教要旨
「説法を聞けば直ちに眠りを催し」 山下智子牧師
使徒言行録 20:7-12節
「説教を聞けば直ちに眠りを催し」。新島襄は若き日を振り返り、自身がそのような居眠り青年であったことを正直に告白しています。この告白は同志社が創立されて3年半ほどたった1879年5月17日、新島が京都四条で行った演説の原稿「霊魂の病」に明らかです。
使徒言行録にもトロイアの出来事としてエウティコという名の居眠り青年が出てきます。礼拝や授業の際に眠くなるのは誰でも経験のあることでしょう。しかし青年の場合、礼拝での居眠りが命に係わる大事件へとつながりました。彼は窓に腰を下ろしてパウロの話を聞いていましたが、話が夜中まで続いたのですっかり眠り込んでしまい、アッと思った時には3階から地上に落下し、命を落としてしまいました。
最近日本でよく聞かれる「自己責任論」ならば「居眠りするのが悪い」「そんな場所に座るとは不注意だ」と冷ややかに評され、青年は命の責任のすべてを自分で負うことが求められることでしょう。しかし、新島襄によるならば自分が人より正しい者であると思い傲慢なのは誤ったことで深刻な「霊魂の病」です。新島は自身の経験から、この病を癒す大きな力を持つキリストにより「人間の本位」を取り戻すことができると確信したといいます。
エウティコが落下した時、パウロは青年の元に駆け付けると、彼の上にかがみこみ、抱きかかえて、「騒ぐな、まだ生きている」といいました。すると驚いたことに青年は生き返りましたが、聖書はこの奇跡中の奇跡を非常にあっさりと伝えています。
なぜでしょうか。青年の死は、彼自身も含め、皆が彼の命に対して当たり前の注意を怠った結果のあってはならない残念な死といえます。人々は「危ないと起こさせばよかった」「室内に座れるよう詰めればよかった」、パウロは「話が長く難しすぎたのだろうか」「説教に夢中で会衆が見えてなかった」などと後悔の念に駆られていたことでしょう。
だからこそ、「わたしは復活であり、命である」と言われたイエスが、ヤイロの娘を「なぜ、泣き騒ぐのか。子どもは死んだのではない。眠っているのだ」と起こされた時の様に、神が一同を深く憐れんで下さり、青年が生き返った喜びと慰めはあまりにも大きなものでした。個人としても教会としても他人事として「良かったですね」などと軽々しくはとても言えない、自分事として「ああ、命を救っていただいた」と十分な言葉も見つからないまま、深い感動と感謝の内に共に聖餐にあずかり、さらに朝まで主の深い恵みを語り合ったのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿