2025年7月20日 聖霊降臨節第7主日礼拝説教要旨
「人の温かさに感じ入る」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 7:1-14節
森まゆみの『じょっぱりの人 羽仁もと子とその時代』(婦人之友社)は、自由学園をつくった羽仁もと子について書かれてあります。「じょっぱり」とは羽仁もと子の故郷の青森の言葉で、「信じたことをやり通す強さ」を意味する言葉です。羽仁もと子は「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」という人生をおくりました。いつも自分で考え、そして生活に根ざしたことを行ない、神さまに祈りつつ歩みました。そして困っている人がいると、なんとかして手を差し伸べるという姿勢で歩みました。『じょっぱりの人 羽仁もと子とその時代』を読んでいますと、「人の温かさに感じ入る」という気持ちになりました。「ああこんなに温かい人いて、人のためになんとなしようと思う人がいるんだ」と思うと、とてもうれしい気持ちになります。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」。神さまが導いてくださっているのだから、神さまを信じて、神さまから託されたわざを一生懸命に行なっていくのです。人を裁くのではなく、共に助け合いながら、良きことのために協力して働いていくのです。人を信じて、自分の協力者として一緒に歩んでもらうのです。狭き門に見えるけれども、神さまが示してくださる道を、まっすぐに歩んでいくのです。困っている人、助けを求めている人がいたら、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」との御言葉のとおり、良き業に励んでいくのです。
羽仁もと子もそうでしたが、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」というような、温かみのある人たちが、私たちの世界を支えています。先月、梅花女子大学の礼拝に行きました。梅花学園の創設者である、沢山保羅の愛唱聖句も、マタイによる福音書7章12節の言葉です。「何事でも人からしてほしいと望むことは人々にもそのとおりにせよ」(マタイによる福音書7章12節)と、礼拝堂の聖書に挟まれた「しおり」に書かれてありました。
よき社会のために、あきらめることなく、祈りつつ、歩んでいった信仰の先達が、私たちにおられます。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」との御言葉のとおり、良き業に励んでいった、温かい信仰にふれることができ、とてもうれしい気がいたします。私たちもまたキリスト教のよき伝統を受けついて、小さな良き業に励む、こころの温かい人でありたいと思います。