2025年10月10日金曜日

2025年10月5日

 2025年10月5日 聖霊降臨節第18主日礼拝説教要旨

「天国に入りたい人、手をあげて」 小笠原純牧師

  マタイによる福音書 19:13-30節

 今日は世界聖餐日です。世界のクリスチャンと共に、聖餐に預かる日です。私たちの世界は神さまの前に、いろいろな問題を抱えています。戦争がありますし、テロ事件もあります。内戦が行われていたり、人権侵害が行われていたりします。私たちは共に聖餐に預かりながら、神さまの義と平和がきますようにと祈ります。

 今日の聖書の箇所では、3人の人がイエスさまのところにやってきます。はじめにこどもたち。そして二番目にお金持ちの青年。そして三番目にペトロです。こどもたちは自分たちがどうこうすることなく、イエスさまから祝福を受けます。そしてお金持ちの青年は、自分の力によって律法を守り、永遠の命を受けるべく努力をします。しかしお金持ちの青年は永遠の命の約束を得ることはできません。祝福は人間の努力によって得られるものではないからです。そしてペトロですが、すべてを捨ててイエスさまに従うということで、祝福を受けようとします。しかしこれもまた人間の力によるものですから、イエスさまから「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」と言われてしまいます。

 「それでは、だれが救われるのだろうか」という問いかけに対して、イエスさまは「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と答えられます。救いは人間によって得られることではなく、神さまからの賜物として与えられるのです。

 とはいうものの、「天の国に入りたい」という素朴な願いをもつことは、とても大切なことだと思います。イエスさまがこどもたちに「天の国に入りたい人は手を上げて」と言われたというようなことは、聖書には書かれてはいません。でもたぶんイエスさまがこどもたちに「天の国に入りたい人は手を上げて」と言われたとしたら、こどもたちは「はい、はい、はーい」と素直に答えるだろうと思います。

 私たちもまた「天の国に入りたい」とこころから望むものでありたいと思います。自分が天の国に入るにふさわしいとか、天の国に入るのにふさわしくないということではないのです。ただ「天の国に入りたい」。ただ神さまの祝福を受けて生きていきたいと、こころから願う者でありたいと思います。

 神さまは私たちを祝福し、神さまの愛を私たちに注いでくださっています。すなおに神さまを求めつつ、歩んでいきましょう。


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