2025年12月21日 待降節第4主日礼拝説教要旨
「クリスマス、小さき私たちのために」 小笠原純牧師
ルカによる福音書 2:1-7節
クリスマス、おめでとうございます。
詩人の工藤直子さんの詩に、「あいたくて」という詩があります。
【だれかに あいたくて なにかに あいたくて 生れてきたー
そんな気がするのだけれど
それが だれなのか なになのか あえるのは いつなのかー
おつかいの とちゅうで 迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている
それでも 手のなかに みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから それを手わたさなくちゃ
だから あいたくて】
わたしにあうために生れてきたという人がいるのではないか。そのように思えます。ただひとりの赤ちゃんだけが、永遠に、ずっと変わりなく、私たちにあうために生れてきてくださったのです。クリスマスは、このただひとりの赤ちゃんがこの世に生れたことをお祝いする日です。この赤ちゃんは、神さまの御子イエス・キリストです。イエスさまは「神さまの愛」ということづけを、手のなかににぎりしめて、私たちにそれを手渡すために生れてくださったのです。
「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」と聖書にありますように、イエスさまはこの世に居場所がない者として、お生まれになられました。イエスさまは小さき者として、この世にお生まれになられました。
御子イエス・キリストは、小さな私たちにあうために、この世のお生まれになられました。イエス・キリストは、神さまからの愛を握りしめて、私たちのとどけるために、この世に生まれてくださいました。私たちに会うために生れてきてくださった方が、私たちにはいてくださいます。そして私たちはクリスマス、イエス・キリストのご降誕をお祝いするのです。
そしてまた私たちも、イエス・キリストにあうために生れてきたのです。「あなたにあうためにわたしはこの世に生まれてきた」と言われる、イエスさまに応えて、わたしたちもまた「あなたにあうためにわたしはこの世に生まれてきた」との感謝の思いを表わしたいと思います。
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