2026年1月3日土曜日

2025年12月28日

 2025年12月28日 降誕節第1主日礼拝説教要旨

「御子イエスが招いてくださる」 小笠原純牧師

  マタイによる福音書 2:1-12節

 クリスマスに、御子イエス・キリストをお迎えして、私たちは歩み始めました。新しい年もイエスさまの招きに応えて歩んでいきたいと思います。

 2025年、最後の日曜日です。2025年は男子普通選挙が実施されて100年、治安維持法が施行されて100年という年でした。この1925年(大正14年)という年に、細井和喜蔵の『女工哀史』が出版されています。細井和喜蔵は『女工哀史』の「序」でこう書きます。「虐げられ蔑まれ乍も日々「愛の衣」を織りなして人類をあたたかく育んでいる日本三百萬の女工の生活記録である。地味な書き物だが、およそ衣服を纏っているものなれば何びともこれを一読する義務がある」。細井和喜蔵には『女工哀史』を書かずにはいられない女工に対しての尊敬と愛がありました。そしてこの書物は多くの人々に読まれました。『女工哀史』は、私たちの世界が小さき者たちの愛によって成り立っていることを、私たちに教えてくれる書物であるわけです。

 占星術の学者たちは夢のお告げで「ヘロデのところに帰るな」と言われます。そしてヘロデのところに帰ることなく、自分たちの国へと帰ってきます。ヘロデ王のところに帰っていくと、たぶん良いこともあったわけです。お礼をもらえたと思いますし、旅の安全の保障もしてくれたのではないかと思います。しかし占星術の学者たちは、ヘロデ王のところに帰ることなく、自分の国へと帰っていきます。力ある人との約束を無視するということですから、わかると大変なことになるかも知れなかったわけです。「ヘロデのところに帰るな」というのは、ひとつの生き方であるわけです。暴力的な力のある者に従って生きていくのか。それとも神さまが示してくださる愛に根ざした道を歩んでいくのかということです。

 暴力的な世の中にあって、イエスさまは小さな人たちの愛に守られて、その命を保ちます。クリスマスの話に出てくる人たちの多くは、力のない人たちです。ヨセフもマリアも、羊飼いもバプテスマのヨハネの母のエリザベトも、力のない人たちです。しかし彼らには神さまの愛がありました。彼らはみな神さまに望みをおきつつ、祈りつつ、その生涯を歩みました。

 イエスさまは神さまに祈りつつ歩んでいる私たちを招いておられます。私たちは弱くともしい者ですけれども、イエスさまの招きに応えて、神さまの愛のうちを、新しい年も歩んでいきたいと思います。