2024年11月10日 降誕前第7主日礼拝説教要旨
「謙虚な人として生きる」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 3:7-12節
教育情報サイトのベネッセの、「小学生のあこがれの人ランキング」というのがあります。2023年のランキング1位は、友達です。2位はお母さん、3位は星野アイ『推しの子』、4位は学校の先生、5位はSnow Manだそうです。ちなみに6位は大谷翔平です。小学生ですから身近な人が多いようです。洗礼者ヨハネは人気のある人でした。当時の人々にとっては、ランキングの高い人だったと思います。ちょっと怖い人でもありました。
洗礼者ヨハネはとても激しい人です。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」。まあ、そうだとは思いますが、でもやっぱり怖いなあと思えます。昔の人はよくこんな怖い人のところに行って、洗礼を受けたものだと思います。
洗礼者ヨハネはとても激しい人であったわけですが、しかしとても謙虚な人でありました。洗礼者ヨハネは自分のあとからやってくる救い主イエス・キリストについて、自分はその履物をお脱がせする値打ちもないと言いました。「わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない」。洗礼者ヨハネはとても激しい人でしたが、しかし自分のことを誇ったりすることのない人でした。
天に召された皆様のご家族も、神さまの前にはとても謙虚な人たちでした。神さまを信じている。イエスさまを信じているということは、そういうことです。人に対しては、だれしも高慢になったりすることがあります。しかし神さまの前には、人は謙虚にならざるを得ないのです。自分のすべてを納めておられる神さまの前には、人は謙虚にならざるを得ないのです。
私たちもまた先に召された先達と同じように、神さまの前に謙虚なものでありたいと思います。自分が神さまの前に立たされているひとりの人間であるという思いをしっかりともつ時に、人は良き人として歩むことができます。神さまがわたしのことをみていてくださる。神さまがわたしのことを支えてくださる。神さまがわたしのことを愛してくださっている。そのように思えるとき、私たちは私たちの人生を、恐れることなく、希望をもって歩むことができるのです。