2025年7月13日 聖霊降臨節第6主日礼拝説教要旨
「あなたの中にある光」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 6:22-24節
夏目漱石はロンドンに留学中の日記にこう記しています。「未来は如何にあるべきか。自ら得意になる勿れ。自ら棄る勿れ。黙々として牛の如くせよ。孜々として鶏の如くせよ。内を虚にして大呼する勿れ。真面目に考へよ。誠実に語れ。摯実に行へ。汝の現今に播く種はやがて汝の収べき未来となつて現はるべし(1901年3月21日付)」。なんとなく世界が大きく変化していると感じるいま、私たちはいままでのあり方をもう一度しっかりと考え直してみるときなのだろうと思います。
イエスさまは「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」と言われました。このイエスさまの言葉は、やっぱり私たちにとっての根源的な問いかけであると思うのです。「だれも、二人の主人に仕えることはできない」と、イエスさまは言われます。
「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう」。この聖書の御言葉は、「あなたの目が澄んでいる」とも、「あなたの目が濁っている」とも言っていません。ただ「目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い」と言っているだけです。そして聖書は言います。「だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう」。「あなたの中にある光が消えれば」ということですから、消える前には私たちの中には光があるということです。聖書は「あなたの中には光がある」と、私たちに言っています。
私たちの中には確かに光があるのです。イエス・キリストという光があるのです。ヨハネによる福音書1章は、「言が肉となった」という聖書の箇所です。「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た」。世の光であるイエス・キリストが、私たちの間に宿られたのです。光を理解することのない暗闇である私たちのところに、イエス・キリストは光となって宿ってくださったのです。
不安の多い私たちの世の中です。しかしだからこそ、私たちキリスト者は、目先のことではなくて、根源的なことに目を向けたいと思います。私たちはイエス・キリストによって生きているのです。イエス・キリストが私たちの光となってくださり、私たちの中に宿ってくださっている。このことを覚えて、歩みましょう。イエス・キリストの光を、消すことのないように、祈りながら、歩んでいきましょう。