2017年6月5日月曜日

2017年5月21日

2017年5月21日 主日礼拝説教要旨
「風は止み、凪になった」 宇野 稔牧師
マルコによる福音書4章35~41節
 この箇所は一読すると、「イエスが自然の力をも従わせる権威をもっている」ということを伝えるための奇跡物語であると読めます。確かにそうした意味があることは間違いありません。しかし単純にイエスが自然を支配する力を持っているというだけでは現代を生きる私たちにはあまり重大な意味はないでしょう。この物語はもう一つの大切な意味を含んでいます。
 それを読み解くキーワードは41節の「従う」という言葉です。自然を教会が意のままに操ることが出来るということではないことを私たちも経験上知っています。船は教会共同体を指していると考えてよいでしょう。この船はイエスの命令によってガリラヤ湖の向こう岸に向かって出発します。イエスが集めた人々が乗っているのです。
 教会はイエスによって始められ、築かれてそこに人々が集められたのです。向こう岸という目標に向かって歩みだしているのです。私たちは神が出発を導いたのだから、事柄は順調に行くと考えがちです。しかし、現実の教会はそうではありません。問題が起こり、トラブルも存在します。それに加えて教会は国家からも民からも迫害を受けようとしていたのです。その悲鳴は祈りとなり「主よ、助けてください。溺れそうです」と、その時イエスが「なぜ怖がるのか、信仰の薄い者よ」と語りかけています。この言葉は叱責ではなく困難に直面している人々(教会)を励ますための言葉だと解釈できます。
 この物語で確かに、イエス自ら風と湖を叱ると、風と湖も収まってしまうのです。そのイエスが船に同乗して下さっているのです。そのイエスが私たちの教会と共に歩んでくださっているのです。そこにこそ、私たちが困難に立ち向かう力の源泉があります。
 これは不信仰を叱責しているのではなく、困難の中にあっても右往左往している教会が希望を失わず、イエスと共に歩み続けるように励ます物語なのです。教会は2千年の歴史をこの希望によって歩み続けてきたのです。一歩進んでみましょう。


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