2017年8月27日日曜日

2017年8月13日

2017年8月13日 主日礼拝説教要旨
「恐れるな」 宇野 稔牧師
マタイによる福音書 10章26~31節
 15日は終戦記念の日です。さらに6日と9日は日本に原爆が投下された日です。色々な思いでいっぱいですが、一言で云うならば、二度と戦争を起こしてはならないという心に誓うのです。
 この聖書箇所では、マタイ教会の人々がローマの人々からも同胞のユダヤ人からも差別され迫害されています。マタイによる福音書はそのような時代背景のもとで書かれました。ここで「恐れるな」と何度も呼びかけられていますが、「差別されることを恐れるな」という意味です。何故なら彼らは体を傷つけることが出来ても、魂を傷つけることはできないのだからと云います。しかしながら彼らが恐れていたものは、ローマ人やユダヤ教の人だけでしょうか。私は彼らの恐れは自分自身を恐れていたように思うのです。差別され、怒りと恨みに支配される自分に、愛の実践から遠く離れていく自分に、困難な状況に絶望する自分に恐れていたのではないでしょうか。
 水野源三さんの詩の中に、「砕いて砕いて砕き給え」というものがあります。神のうちに生かされているのに自分一人で生きていると思い続ける心を、また神に深く愛されているのに他人の小さな過ちさえも赦せない心を。この詩の中に私たちが恐れているものが表されているように思います。しかしそれでも神は「恐れることはない」と云われます。神は人間の醜さも弱さも愚かさも全てご存知の上で、もう恐れる必要はない、その姿勢は神の前に自分を差し出すことです。自分ではどうすることもできない自分自身を、砕き給えと差し出すことなのです。
 イエス・キリストは素晴らしい人のために十字架に架かったのではなく、欠けの多い私たちのために十字架につかれたのです。私たちはもう恐れる必要はないのです。この弱さを知っても大切だと云って下さる神に、それでも愛していると云って下さる神に、今生かされているのですから。〈平和の道具〉としてならせて下さい。(499番)

0 件のコメント:

コメントを投稿