2017年11月14日火曜日

2017年10月29日

2017年10月29日 礼拝説教要旨
「平和の福音」 李 相勁牧師(福知山教会)
エフェソの信徒への手紙2:14~22節
主の平和がありますようにお祈りいたします。
教区の講壇交換をとおして、主にあって共につながり、分かち合う恵みに感謝いたします。わたしたちは、礼拝と祈りのなかでそれぞれが自分と向き合い、歩みをかえりみる時が与えられて、かけがえのない一人ひとりが神に愛され、大切にされる存在であることに気づかされます。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」(マルコ2:27)「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント12:9)などのみ言葉は、苦しい思いを強いられている人々に、すべての人々に与えられた平和の福音であります。小アジアの商業都市といわれるエフェソは、多くの人々が集うところでした。そのエフェソでは互いの違いによる葛藤や対立などがありましたが、信仰共同体においてもそのような課題を抱えていたと思われます。イエス・キリストは、隔ての壁である、考え方や体制を乗り越える、二つのものを一つにしている平和の福音を告げ知らせ、互いに認め合い、支え合う、多様性のなかで共に生きる大切さを示してくださいました。
「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソ2:14~16)かなめ石であるイエス・キリストにおいて、建物全体が組み合わされて成長し、共に建てられていく、すべての人々は平和の福音にあずかり、神の家族であることに励まされます。「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」(エフェソ2:19)

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