「空しさの向こう側」 桝田翔希伝道師
ルカによる福音書 12:13~21節
教会暦が聖霊降臨節から降誕前節となりました。クリスマスまで9週間を控え新しい節目の日曜日です。イエスの誕生を覚えるクリスマスに向けて、事務的実務的な準備も始まっていますけれども、私たちの祈る心も9週間かけて準備できればと思います。先日、23日から25日と教団総会が行われ部落解放のアピールで私も参加させていただきました。歴史の中で様々な問題、様々な痛みを抱えていますが心の通った話し合いが出来ますよう祈りたいと思いました。
さて今日の聖書箇所は、あるお金持ちのたとえ話が語られています。ある豊作の時に今まで使っていた蔵を壊しさらに大きな蔵をつくり、作物を蓄えたのでした。しかし神はその人がその日で死んでしまうことを知っていたのでした。死んでしまうのにその富をどうするのか、イエスはそう語りかけるのです。聖書が書かれた時代から時が流れ21世紀に私たちは生きています。しかしこの時に語られた「豊かさ」より数段上の豊かさの中で私たちは生きています。
ここで語られているお金持ちの人のように、私たちも貯金をします。不景気をはじめ不安定な時代にあって、私たちを襲う不安をお金は解決してくれます。さらに今日の社会は様々な場面でお金が必要になります。道を歩いていて急に何かが食べたくなるようなときもありますし、急な事故や病気など、様々な場面でお金が必要になります。お金は大事というわけですがお金がなければ住む場所も食べる者も着るものも手に入りません。お金がなければ生きることを許されないような社会に生きています。しかし聖書の中では「豊かさ」に対して注意を促しています。金銭的、肉体的な豊かさは神を忘れてしまう。神から与えられた命の大切さに忘れてしまうというのです。
将来の不安は上げだすときりがありません。私たちは何が不安の原因なのかわからない、言いようのない不安に追われているのではないでしょうか。そんな中で神から与えられた命の大切さに忘れてしまっているのではないでしょうか。今日、この日に私たちが向き合わなけらばならないものに目を向けよ、とイエスは語っておられるのではないでしょうか。
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