2018年12月18日火曜日

2018年12月9日

2018年12月9日 待降節第2主日礼拝説教要旨
  「耶蘇・基督の公会・地の塩と世の光」 原誠教師
   マタイによる福音書 5:13~16節

 平安教会は創立142年の記念日を迎えました。創立の当初はドーン宣教師宅で結成された京都第三公会を前身とし、それ以前に第一公会、第二公会がありましたが、第二公会会員のうち同志社関係者が同志社教会を組織したことにより第二公会員の残りは第一公会に移籍し、1887年6月に第三公会は第一公会と合併し平安基督教会となりました。

 最初の教会のことを公会と呼びました。またイエス・キリストを耶蘇・基督と漢字であてました。これは欧米の宣教師が中国で活動をはじめて、聖書を含む西洋文献を漢文に翻訳したによるものです。
1859年、宣教師が開国した横浜に到着したとき、キリスト教は禁制でしたが、彼らはこれらの文書を持ち込み、その分冊の聖書を読んだ新島が国禁を犯してアメリカに渡りました。そして10年の学びをおえて宣教師として帰国したのが1874年でした。時代は明治になっていました。1872年に横浜で最初のプロテスタトの教会が設立されたとき、当初、宣教師たちは日本に教派を持ち込むのではなく無教派の教会の設立を考えました。これが「公会」でした。ですから西日本で最初に成立した神戸教会も、当時、摂津第一基督公会といい、平安教会を含む京都の教会も西京公会と称したのです。しかし、のちに「公会主義」は崩れ、教派の教会となっていきました。

 わたしの理解ですが、「教会」よりは「公会」と呼ぶ方が神学的には正しいように思えます。「教会」と言う場合、牧師が高いところから正しいキリスト教を教え、信徒はこれを学ぶ、一種の学校のようです。それに対して「公会」という言葉は、現在は死語のようですが「公会堂」というように、コミュニティ、共同体を指します。教会は実に神が召し集めた、神を主権とする共同体なのです。ここではすべての差異を越えて、ひとつの交わりがあります。

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