2018年12月10日月曜日

2018年12月2日

2018年12月2日 待降節第1主日礼拝説教要旨
  「はじめの言葉」 桝田翔希伝道師
   ルカによる福音書 21:25~33節
 アドヴェントの第一主日を迎えられましたこと感謝いたします。先日はアドヴェントワークとしまして、クリスマスの飾りつけも行われましたが、クリスマスに向けて様々な準備をする中で祈りながら過ごしていきたいと思います。そんな日の聖書箇所は終末を描いたとても恐ろしい箇所が選ばれていました。私たちは、この日にあって何を問いかけられているのでしょうか。
 ルカによる福音書は、マルコによる福音書を見ながら独自の解釈をしつつ執筆されたと考えられています。この聖書箇所もマルコによる福音書で語られ、エルサレムの滅亡とイエスの再臨を結び付けて語られています。紀元後70年にイスラエルはユダヤ戦争を経験し、ローマ兵によって放火されエルサレムは崩壊してしまいました。そのような辛い経験を踏まえ、マルコはイエスの再臨を信じています。しかし、エルサレム崩落から少し時間が経ったルカは再臨を分けて考えようとしたようです。非常に辛い経験をしたのに、終末は訪れず再臨も起こらなかったからです。
 私たちは終末や再臨をどのように捉えているでしょうか。今年は多くの災害が起き、聖書が語る天変地異のようです。様々な痛みや苦しみを経験しながら、その後に救い主が現れるという現実的な希望は抱いていないのではないでしょうか。釜ヶ崎で働く本田神父は痛みや苦しみの中でこそ人間は力を持つと語っておられました。先日、ケニアで教育活動をされる宣教師の方の講演を聞く機会がありました。「今日生きることにさえリスクがある」子どもたちが東北の震災を知り、昼食を我慢して数万円の寄付を集めてくれたのだそうです。「与えるものを全く持たない貧しい人はいない」そう語っておられました。
 私たちも様々な問題に直面し、悩み苦しみます。しかし聖書はエルサレムの滅亡など、人間が「もう終わりだ」と思うような時でも力が残されていることを語ります。最期に残される力を信じ、共に祈りつつアドヴェントの時を過ごしましょう。

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