2019年11月18日月曜日

2019年11月10日

2019年11月10日 降誕前第7主日礼拝説教要旨
  「永遠のいのちへの約束」 小笠原純牧師
   ヨハネによる福音書 8:51~59節
 イエスさまは「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない」と言われました。アフロ・アメリカン・スピリチャル、いわゆる「黒人霊歌」のなかには、世の終わり・終末、永遠のいのちについての歌が多くあります。「Soon Ah Will Be Done」(「もうすぐ終る」)もその一つです。黒人たちは奴隷として連れてこられて、つらい労働を強いられ、ひたすらものとして扱われました。そうした理不尽なことが終るときがくると歌われています。黒人霊歌に現れているアフロ・アメリカンの人たちの信仰は、私たちに世の終わり・終末、永遠のいのちの大切さを教えてくれています。世の終わり・終末、永遠のいのちを信じるということは、わたしの悲しみや苦しみをそのままにしておかれない神さまがおられるということを、わたしは信じているという告白であるのです。
 今日の聖書の箇所は「アブラハムが生まれる前から、「わたしはある」」という表題のついた聖書の箇所の一部です。ヨハネによる福音書は、イエスさまを信じている人々がユダヤ教にとどまるのか、とどまらないのかという問題をつきつけられている時代に書かれてあります。ユダヤ教にとどまると、安心した宗教生活が保障されました。しかしユダヤ教を出てキリスト教を信じると、迫害を受けるかも知れないということになります。
 ヨハネによる福音書は、「わたしはある」という言葉で、イエスさまが神さまの御子であることを表しています。神さまの御子であるイエスさまは、神さまの御心を知っておられる。イエスさまは神さまの御心を行なわれ、病気の人々をいやし、悲しみの中にある人々と共に、神さまがいてくださることを告げ知らせる。そして私たちの罪を担い、十字架につけられ、三日目に私たちのために復活をされる。そして死に打ち勝たれたイエスさまによって、私たちは罪許され、神さまの民として永遠の命へと招かれているのです。
 神さまの御子イエスさまは「体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」(マタイ10章28節)と言われました。この世にあって、私たちはいろいろな不安や悩みをもち、そして恐ろしくなるときがあります。しかしイエスさまはこの世のことではなく、私たちが永遠のいのちへの祝福を受けていることを、しっかりと受けとめて歩みなさいと、私たちを招いておられます。私たちは永遠の命の約束をいただいています。そのことに感謝しつつ、恐れることなく歩んでいきましょう。

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