2019年11月11日月曜日

2019年11月3日

2019年11月3日 降誕前第8主日礼拝説教要旨
  「あなたの罪はゆるされた」 小笠原純牧師
    ヨハネによる福音書 3:13~21節
今日は召天者記念礼拝を神さまのところに帰られた方々と共に、またご家族の方々と一緒に礼拝を守ることができ、神さまに感謝いたします。
みなさんは自分の大切にしているものを、大切な人にあげたことがあるでしょうか。わたしはこどものときに、自分が大切にしていた父のお土産の京都タワーのメダルを、引越していく友人にあげました。当時の宝箱の中に入っている宝物は、いまはわたしにとってガラクタになっています。しかし友だちにあげた京都タワーのメダルは、手元にないですわけですが、わたしにとって永遠の宝物になっています。
今日の聖書の箇所には、【神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された】(JN0316)という有名な聖書の言葉が出てきます。神さまもまた大切なものを大切に人にあげられた方でした。神さまは大切な独り子イエスさまを、私たちにくださったのです。
イエスさまは私たちの罪のために十字架についてくださいました。イエスさまは私たちを裁くために、来られたのではありません。私たちを救うために来られたのでした。私たちに神さまの深い愛を伝え、そして私たちに私たち自身の深い罪を伝えるために、イエスさまは私たちのところに来てくださいました。そして私たちの深い罪のゆえに、十字架につけられ、そして天に召されたのでした。私たちは神さまの独り子であるイエスさまの十字架を通して、私たちは滅びから、永遠の命へと導かれたのでした。
讃美歌21-300番に「十字架のもとに」という讃美歌があります。この讃美歌の詩は、スコットランドの讃美歌学者のエリザベス・クレーフェン(1830-1869)という人の詩です。クレーフェンは財産を売って貧しい人々を助ける、地元の人々から「太陽」と呼ばれるすばらしい人でした。しかし彼女は「はかりも知られぬ ひとの罪よ」と歌いました。地元の人々から太陽と呼ばれていた彼女も、自分のこころのなかのどうしようもない罪を見つめていたのでした。私たちはクレーフェンのように、自分の罪を見つめながらも、しかし罪赦されているということに感謝する者でありたいと思います。
【神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された】。神さまの深い愛を信じましょう。神さまの深い愛に包まれていることを信じて、救い主イエス・キリストに希望をおいて歩んでいきましょう。

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