2021年11月28日 待降節第2主日礼拝説教要旨
「心静かに信じて待て」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 13:21ー37節
アドヴェントに入り、ローソクに1本の灯りがともりました。イエス・キリストがお生まれになられたことをお祝いするクリスマスまで、大切にすごしたいと思います。
世の終わり・終末というのは、裁きの時ですから、なんとなく私たちは不安になります。私たちは自分たちが神さまの前にふさわしくない者であることを知っているからです。私たちは罪深い者です。神さまから裁かれたら、どうしたらいいのだろうと思ってしまいます。天地のように、私たちも裁かれ、滅びてしまうのだろうかと思います。しかしイエスさまは「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と言われます。
「わたしの言葉」、イエス・キリストの言葉とは、何なのでしょうか。ヨハネによる福音書1章1節以下にこうあります。【初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は神と共にあった。】。イエスさまは世の罪を取り除く神の小羊として、私たちの世に来てくださいました。イエスさまは私たちを裁くために来られたのではなく、私たちを救うためにこられました。
使徒パウロはテサロニケの信徒への手紙(一)4章13節以下で、終末について語っています。【神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです】とあります。「終末に際して、裁きのことに気をとられて脅えるのではなく、神さまに救われた喜びに満たされなさい」と、使徒パウロは私たちに言っています。
十字架につけられたイエスさまが最後に話されたのは、共に十字架につけられていた犯罪人でした。イエスさまは、高慢なヘロデ王とは口を利かれませんでした。しかし罪を悔いて、イエスさまに救いを求める罪人には、「今日わたしと一緒に楽園にいる」と言ってくださいました。イエス・キリストは私たちの罪を赦し、私たちを救うために、十字架についてくださったのです。
アドヴェントに入りました。クリスマス、私たちの救い主イエスさまが、私たちのところにきてくださいます。心静かにして、私たちを憐れんでくださる神さまの愛を信じましょう。アドヴェントのとき、一日、一日を大切にして、救い主イエス・キリストをお迎えする準備をいたしましょう。
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