2022年11月5日土曜日

2022年10月30日

 2022 年 10 月 30 日 降誕前第8主日礼拝説教要旨

 「神を知る道」 山下毅牧師

   マタイによる福音書 4:1-11 節

 この荒野の誘惑の物語は、ロシアの作家ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』という作品の「大審問官」という箇所で取り上げています。イエス・キリストを試みた悪魔は、実は私どもではないか、と問うているのです。ここにおける中心問題は、私どもが救われるというのはどういうことかという問題です。

 第一の誘惑において、神が本当の神ならば、石をパンに変えることぐらいあたりまえではないか。私たちが、不幸にぶつかるたび、悲しみにぶつかるたび、神に文句を言ったことはないでしょうか。イエスは『人はパンだけで生きるのではない、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる。』と述べられます。

 第二の誘惑において、「悪魔はイエスの宮の頂上に立たせて言った。神の子なら飛び下りたらどうだ。天使たちが来て捕らえてくれる」と詩編91編を引用しつつ、試みます。この主を試みる出来事は、出エジプト17章1節以下の故事に由来します。エジプトから導き出されたイスラエルの民は、飢えと、渇きにとまどい信仰を失います。神が生きておられるかどうかわからない状況であったのです。現在の私たちもどんようにしばしばそのような状況に追い込まれるでしょうか――そのとき申命記6章16節の言葉を述べられます『あなたの神である主を試みてはならない。』大切なことは、神を信頼しきることです。従い続けることです。その時道は開けます。

 第三の誘惑において、悪魔はこの世の栄華を見せ、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これを皆与えよう」と言った。イエスは「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主にのみ仕えよ』」と述べられます。ただ主なる神を礼拝し続けることが大切です。

 ルターは「悪魔の正体は何でしょうか。人間だった。悪魔を呼び出すのは、人間の罪だ」と述べています。

 荒野の誘惑の物語で、イエスは奇蹟(しるし)を拒否なさいました。マタイによる福音書12章38節で、律法学者、パリサイ人はイエスに奇蹟(しるし)を求めます。しかし、イエスは「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう」と述べられます。主はむしろ墜落する道を選ばれ、三日三晩地の中に横たわるという道、十字架において犯罪者として殺される道を選ばれます。ヨハネによる福音書3章16節「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それはみ子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」死のどん底から、神さまはイエスを甦らせるみちをお開きになりました。それが<愛のしるし>だからです。

 復活されたイエスは、私たちと共に在って、共に歩んでくださいます。

 4年前に亡くなられた、信仰の友、浜野一也さんも主が共にいます、豊かな生涯を全うされました。

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