2023年10月20日金曜日

2023年10月15日

 2023年10月15日 聖霊降臨節第21主日礼拝説教要旨

「見えないけど、感じる神さまの愛」 小笠原純牧師

ルカによる福音書 17:20-37節

 『絶対音感』という本で有名な最相葉月は、2022年10月に、『証し 日本のキリスト者』(角川書店)という本を出しています。最相葉月は、インタビューにあたって何度も聞いた質問というのがあります。【その一つは、自然災害や戦争、事件、事故、病のような不条理に直面してなお、信仰はゆるぎないものであったかということ。神を信じられないと思ったことはないのか。それでも信じるのはなぜかということ】。

 イエスさまの時代、世の終わり・終末が、いつ・どのような形で来るのかということは、とても不安なことでした。ですからファリサイ派の人も、世の終わり・終末はいつ来るのかと、イエスさまに尋ねました。しかしまあそれから2000年ほどの年月がたっているわけです。世の終わり・終末は来るけれども、それはいつ来るか、どのような形で来るのかということは、わからないのです。でも同時に、明日来ないということでもないわけです。いつ来るかわからない。それはイエスさまの時代から変わらないことです。

 世の終わり・終末に事柄に関わらず、私たちは不安がつきまとう人生を生きています。あるときは信仰のゆらぎを感じる時もあります。神さまはわたしのことを忘れておられるのではないか。神さまはわたしを見捨てておられるのではないか。そのような思いになるときもあります。

 しかしまた私たちは自分が神さまの救いの中に生きていることを感じます。私たちは神さまの愛を感じて生きています。私たちの都合の良いように、神さまが働いてくださるというわけでもありません。現実の生活の中で、私たちは右往左往させられ、不安になったり、悩んだりもします。しかしそうした中にあっても、私たちは神さまの愛を感じて生きています。「ここにある」とか「あそこにある」というように見えるわけではないので、説明をするのがとてもむつかしいわけですけれども、私たちは弱い私たちを支え、導いてくださる神さまの愛を感じて生きています。

 信仰とはほんとに不思議なものだと思います。いろいろな出来事にあい、もちろん信仰がゆらぐということもあるわけです。しかしそれでも、私たちは神さまの愛を感じて歩んでいます。わたしは、それはとても幸いなことであり、そしてとても平安なことだと思います。

 ぜひ「わたしも共にそのような歩みに導かれたい」との思いをもつ方がおられましたら、私たちと一緒に、神さまを信じて、共に歩んでいくことができればと思います。


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