2024年1月20日土曜日

2024年1月14日

 2024年1月14日 降誕節第3主日礼拝説教要旨

「イエスさまに引き寄せられて」 小笠原純牧師

  ヨハネによる福音書 2:1-22節

 わたしの友人は高校浪人をしているときに、教会の高校生会のキャンプに誘われて、教会に来るようになりました。なんだか引き寄せられるように、教会に来るようになったのです。「高校浪人中だから、勉強をしなければならないので、教会の高校生会の夏のキャンプになんか参加できるわけがないだろう」と言っても良かったわけですが、彼は夏の高校生会の夏のキャンプに参加をするのです。そしてイエスさまに引き寄せられて、彼の信仰生活が始まるのです。

 マルコによる福音書などの、イエスさまの弟子選びの話では、「二人はすぐに網を捨てて従った」というように、弟子たちの側の信仰の勢いのようなことが語られています。信仰とは一面ではそうした、「わたしが信じる」「わたしがついて行く」という面があるわけです。使徒信条のように、「われは天地の創り主、全能の父なる神を信ず」というように、「われは信じる」のです。

 ヨハネによる福音書では、どちらかというと、弟子たちはイエスさまに引き寄せられるように、イエスさまについて行きます。アンデレは洗礼者ヨハネの弟子であったわけですが、「見よ、神の小羊だ」というヨハネの言葉を聞いて、イエスさまに呼ばれているわけでもないのに、イエスさまに従います。ナタナエルなどは、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」というようなことを言っていたわけですが、イエスさまと話をして、イエスさまに引き寄せられるように、イエスさまを信じて歩み始めます。

 なんらかの出来事で、教会に来ることになり、いわゆる求道者生活を送るようになりますと、わたしは本当に、神さまを、イエスさまを信じているということになるのだろうか、というような思いにかられることがあります。「わたしが信じている」ということの問題を考えるのです。信仰とは、「わたしが信じている」ということの大切さがあるからです。しかしもう一方で、やはりイエスさまに引き寄せられているということがあるのです。言葉では説明がつかないけれども、イエスさまに引き寄せられて、教会に集い、礼拝を守ります。いつのまにか、「わたしはイエスさまのことが大好きなんだ」という思いで生きるようになります。イエスさまに引き寄せられるのです。

 イエスさまは私たちを招いてくださり、「あなたはわたしの大切な人だ。わたしを信じて、わたしについてきなさい」と、私たちに語りかけてくださっています。イエスさまを信じて、イエスさまにより頼んで歩んでいきましょう。


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