2024年1月21日 降誕節第4主日礼拝説教要旨
「水汲み人生に起きる最初の奇跡」 宮岡信行牧師
ヨハネによる福音書 2:1-12節
イエス様の奇跡は福音のしるしです。カナの婚礼はイエス様の最初の奇跡であり、同時に私たちに与えられた最初のしるしです。そもそもぶどう酒は神様の祝福の象徴であり、婚礼ではぶどう酒こそが最上の喜びでした。ところが、その婚礼でぶどう酒が無くなるという問題が起こります。その時、母マリアだけがイエス様と召使たちを仲介するように声をかけます。母マリアがイエス様にとりなしたことで奇跡の予兆が示されました。そして、これが世にある教会の働き、この地に建てられた教会の役割なのです。喜びを失う世界に教会があるのはなぜか。私たちが主日の礼拝をするのはなぜか。それは神の恵みとキリストの復活を信じる教会の喜びが、この世に神の救いを指し示す大切なしるしになるからです。
一方で、思いがけない良いぶどう酒の登場に大喜びする宴会の世話役は、まだ天の国の喜び、救いの恵みに気付いていない人の姿です。宴会のような華やかな人生に満足しながらも、見えないものに目を注いでより善く生きるような最上の喜びを知らないのです。私たちの周りにもぶどう酒に変わった水を飲んで大喜びしてもらいたい人がいるのではないでしょうか。
この時、召使たちが水をくんで淵までいっぱいにした6つの石の水がめはおよそ合計600㍑ほどでした。水汲みは地味で単調な作業です。その努力が形や成果にならず、どれだけ水がめに汲んでも使えば何も残りません。にもかかわらず、イエス様はぶどう酒という喜びがなくなりそうな困難な時にも、いつものように水くみをしなさいと言われるのです。誰もが何の役に立つのか分からなかったことでしょう。ところが、水を汲んだ召使いたちが宴会の世話役のところに水を運んだところ、水はぶどう酒に変わっていました。
水がぶどう酒に変わる。この奇跡を目の当たりにしたのは、水を汲んできた召使いだけでした。思いがけない神の恵みが広がるところにいた召使いたち。彼らこそ私たち自身なのです。カナの婚礼は繰り返しキリのない水汲みのような人生に、初めて起きた神さまの祝福のしるしを語ります。誰もが楽しむ婚礼の席に、神さまの恵みを持ち込むのは私たちです。喜びが失われたところに最上のぶどう酒を運ぶのは私たちの役割です。これほど喜ばしいことがあるでしょうか。水汲み人生に最初に起きる奇跡、すなわち私たちが主イエスに呼び集められ、教会で礼拝を献げて、この世に証しを立てる、神の救いのしるしになる。この喜びを抱いて歩む者でありたいと切に願っています。
0 件のコメント:
コメントを投稿