2024年5月12日 復活節第7主日礼拝説教要旨
「広がりゆく神の国」 小笠原純牧師
ヨハネによる福音書 7:32-39節
わたしが岡山教会で伝道師をしたあと赴任した教会は、新潟の三条市にある三条教会でした。教会員が20名くらいの教会でした。教会員のAさんが三条教会の創立期の話をわたしにしてくださいました。まず集会をもつ家が備えられました。Aさんの夫君は熱心な教会員で、そのときAさんに「礼拝や集会をもつ家が与えられたから、今度は専任の牧師さんが来てくれたらいいねえ」と言いました。Aさんは「おとうさん、そんなばかなことあるわけないでしょ!。こんなところにだれが来ますか」と答えたそうです。「あのときはぜったいそんなことになるわけないと思っていたけれど、おとうさんのいうとおり、牧師さんがきてくれる教会になったのだから、やっぱりおとうさんが正しかったのですね」。わたしはこの話を聞きながら、「ああ、こういう教会員の方々のあつい願いや祈りによって、教会が立っているのだなあ」と思いました。
ユダヤ人たちは「わたしたちが見つけることはないとは、いったい、どこへ行くつもりだろう。ギリシア人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか」と言いました。これはイエスさまに対する嘲りの言葉です。この嘲りの言葉が実現していくのが、初期のキリスト教の歴史です。
イエスさまが十字架につけられ、よみがえられ、天に召されたあと、聖霊が弟子たちにくだり、弟子たちはイエスさまのことを宣べ伝えます。使徒パウロはギリシャ人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って、ユダヤ人や異邦人に教えるのです。テサロニケの教会、フィリピの教会、コリントの教会などなど、使徒パウロは手紙を書いて、その手紙が私たちの聖書の中に記されています。ギリシャからローマへ、そして世界中に教会が建っていくことになります。
イエスさまは弟子たちに「『種を蒔く人』のたとえ」(マルコ4章1-9節)という話をしておられます。「ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった」。讃美歌21の412番には「昔主イェスの」という讃美歌があります。「昔主イェスの蒔きたまいし、いとも小さきいのちの種。芽生え育ちて、地の果てまで、その枝を張る、樹とはなりぬ」。
私たちは御言葉によって支えられ、そして生かされています。この言葉を待っている人たちがいます。私たちはイエス・キリストの命の言葉に支えられ、そして命の言葉を伝えていきましょう。
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