2024年9月13日金曜日

2024年9月8日

 2024年9月8日 聖霊降臨節第17主日礼拝説教要旨

「ただ、神さまの愛がある」 小笠原純牧師

  マタイによる福音書 5:43-48節

 新美南吉の詩に、「天国」という詩があります。「おかあさんたちは みんな一つの、天国をもっています。どのおかあさんも どのおかあさんももっています」。「おとうさんの背中は天国ではないのか」という疑問もないわけではないです。もちろんお父さんの背中が天国である場合もあると思います。わたしはそうしたことよりも、だれしも天国を持っているということが大切なのだと思います。お母さんであろうとお父さんであろうとおじいさんであろうとおばあさんであろうと、なんらかの天国をもっている。ただそのことに気づかないということが人間にはあります。

 また人は自分がだれかからとても愛されているということに気がつかないということがあります。父や母、あるいは家族や友人だけでなく、私たちは神さまからどんなに愛されていても、気がつかないということがあります。

 神さまの愛は悪人にも善人にも、正しい者にも正しくない者にも注がれる。それは神さまが愛について資格を問うておられるわけではないからです。ふさわしいとか、ふさわしくないとかということが、神さまの愛が注がれることの前提ではないからです。

 私たちは愛ということの前に、権利とか資格ということを問題にしがちですが、しかしイエスさまは言われるのです。私たちに権利があるとか資格があるということが大切なのではない。神さまの愛があるということが大切なのだ。神さまの愛があり、神さまの愛が私たちに注がれている。それは私たちにそれを受ける権利があるとか、私たちにそれを受ける資格があるとか、そういうことではない。ただ神さまの愛があり、神さまの愛が私たちに注がれている。そのことが大切なのだ。

 神さまの愛に私たちがふさわしいのかと言えば、そういうわけでもありません。私たちの心の中には、良くない思いもあります。また人を傷つけてしまうようなことを言ってしまったり、じっさいに行ってしまったりすることもあります。神さまの愛にふさわしいとは思えない私たちがいます。

 でも神さまはただ、私たちを愛してくださっています。私たちはそうした慈しみ深い神さまの愛の中に生かされています。どんなときも、神さまは私たちを愛してくださり、私たちを見守ってくださっています。

 神さまがわたしを愛してくださっているということを、こころにしっかりと受けとめて、安心して歩んでいきましょう。


2024年9月10日火曜日

2024年9月1日

 2024年9月1日 聖霊降臨節第16主日礼拝説教要旨

「良き志をもって歩め」 小笠原純牧師

  ヨハネによる福音書 8:37-47節

 ユダヤ人たちは自分たちは特別な民族であると思っていました。ユダヤの指導者たちは自分たちは特別な人間であると思っていました。自分たちは特別であると思うようになると、往々にして、人の意見に耳を傾けることがなくなってきます。自分たちに都合の悪いことを、認めるのがいやになってきます。

 9月1日は関東大震災が起こった日です。今年で101年を迎えます。関東大震災のときに、自警団による朝鮮人に対する虐殺が起こりました。歴史的な文書や証言として残っているわけですが、一方で「そうしたことはなかった」と言い張る人たちも出てくるようになりました。政治家の中でもそうしたことを言い出す人たちがいて、とても困ったことだと思います。

 小説家の芥川龍之介は、「大正十二年九月一日の大震に際して」という文章を書いています。内容は芥川龍之介と菊池寛の会話です。芥川龍之介は自警団に参加しています。芥川龍之介はデマを信じて、「関東大震災の大火事は朝鮮人のしわざだそうだ」と、菊池寛に言うのです。しかし菊池寛は「嘘だよ、君」と芥川龍之介を諭します。芥川龍之介は自分の愚かさと、菊池寛のすばらしさを、この文章で記しています。人はデマを信じやすいものだと思わされます。芥川龍之介がデマを簡単に信じるのであれば、わたしもデマを信じてしまうだろうなあと思わされ、とてもおそろしい気がいたします。

 イエスさまはユダヤ人たちに対して、「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない」と言われました。「いくらなんでも、イエスさま、それは言いすぎではありませんか」と思いますが、しかし芥川龍之介が簡単にデマを信じてしまったことなどを思うとき、悪魔から出てきたとしか思えないような人間のそら恐ろしさを、自分のなかにも感じます。

 だからこそ、イエスさまから離れずに歩みたいと思います。イエスさまにつながって歩みたいと思います。イエスさまにつながっていなければ、自分がどこかにいってしまいそうな思いがするからです。イエスさまは「神に属する者は神の言葉を聞く」と言われました。イエスさまにつながって、神さまの言葉を聞く者でありたいと思います。「イエスさまにしっかりとつながって生きていく」という、よき志をもって歩みたいと思います。