2025年3月8日土曜日

2025年3月2日

 2025年3月2日 降誕節第10主日礼拝説教要旨

「イエスさまに強く願う」 小笠原純牧師

  マタイによる福音書 14:22-36節

 京都教区の沖縄現地研修で、2/17から2/20にかけて沖縄を訪れました。30年ほど前、関東教区の沖縄現地研修に参加しました。当時と同じように沖縄には米軍基地がたくさんあり、そして辺野古には新たな基地が建設をされようとしています。沖縄県の人たちは二度と戦争はしたくないということについて、私たちよりもとても強い思いをもっておられます。平和を求めて祈ることの大切さを改めて思わされました。

 今日の聖書の箇所の「湖の上を歩く」という聖書の箇所は、初期のキリスト教の状況を表わしている聖書の箇所です。イエスさまが天に帰られ、人々は目の前にイエスさまがいないというなか、イエスさまを信じて歩んでいくことになります。どんな人も、人間ですから不安な気持ちになりますし、また信じられないというような気持ちになります。それは人間ですから、仕方がないのです。初代教会の頭であり、イエスさまの一番弟子である使徒ペトロでも、不安になったり恐れたりするのです。

 ペトロはイエスさまから「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われます。そしてペトロはイエスさまに水の上を歩きたいと願います。水の上を歩くというできそうもないことを、ペトロはイエスさまに願うのです。ペトロは不安であったと思います。しかしイエスさまは「来なさい」と言われます。わたしをしてわたしのところに「来なさい」と、イエスさまは言われます。そしてペトロは勇気を出して、イエスさまの招きに応えます。しかし風が強くふき、ペトロは不安になります。やっぱりだめなのではないかと思います。そして事実、ペトロは湖に沈みそうになります。「ああ、だめだ」と思えた時、イエスさまは手を差し伸べてくださり、ペトロを救ってくださいました。「ああ、だめだ」と思えるとき、イエスさまは救いの御手を差し伸べてくださる方であるのです。

 いまは私たちの世の中は、力でものごとを解決する道を選ぶことが多くなり、正しさややさしさがないがしろにされることが多くなっています。ウクライナやパレスチナでは戦争が続き、ミヤンマーでは軍事政権が続いています。「私たちの世界が平和な世界になりますように」という私たちの祈りも、力によってかき消されてしまいような気持ちになってしまいます。しかし私たちはやはり、「平和な世界になりますように」との祈りを、イエスさまに、神さまに強く祈り続けていきたいと思います。


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