2025年2月23日 降誕節第9主日礼拝説教要旨
「わたしもイエスさまにほめられたい。」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 15:21-31節
「私は褒められて伸びるタイプだから」というようなことが、一時期、よく言われていました。わたしも「私は褒められて伸びるタイプだから」というようなことが言える時代に育ちたかったなあと思います。
イエスさまはティルスとシドンの地方に行かれ、そこでカナンの女性に出会います。カナンの女性は病気の娘をいやしてもらおうと、イエスさまにお願いをします。しかしイエスさまからやんわりと断られます。カナンの女性があきらめることなく、一生懸命に、そしてとんちをきかせて、イエスさまに頼み続けたので、イエスさまは「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」と言われました。そして女性の娘の病気は、イエスさまによっていやされました。
カナンの女性も、ユダヤの群衆たちも、「つらい思いをしている人を助けたい」というまっとうな思いをもっていました。病気の娘をいやしてもらいたい。隣に住んでいる足の不自由な人をいやしてもらいたい。目の見えない友だちが見えるようになってほしい。体の不自由な義理の娘が、歩けるようになってほしい。自分が病気であるわけではないけれども、「つらい思いをしている人を助けたい」。そうした思いをもっていた人たちは、イエスさまが病気の人や体の不自由な人が癒やされるのをみて、神さまを賛美したのでした。
イエスさまはカナンの女性のどんなところをほめられたのかが、気になるかも知れません。わたしは、それは「カナンの女性がおもしろいことをいったから」だと思いますが、ですからみなさんに「カナンの女性のように、みんなおもしろいことを言う人になりましょう」というお話をするわけにもいきません。しかしカナンの女性がなにかしたから、イエスさまがほめられたということよりも、ただイエスさまがカナンの女性をほめてくださったということのほうに、わたしは大きな意味があると思います。イエスさまはしんどい思いをしているカナンの女性をほめてくださったように、しんどい思いをしている私たちをほめてくださる方なのです。イエスさまは小さき者たちを顧みてくださる方なのです。私たちの悩みや苦労を知っていてくださり、私たちをほめてくださる方なのです。
いまもイエスさまは一生懸命に生きておられるみなさん、ひとりひとりをほめておられます。「あなたの信仰は立派だ。安心していきなさい」。そんなイエスさまに導かれて、神さまの愛のうちを、私たちも歩んでいきたいと思います。
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