2025年4月20日 復活節第1主日礼拝説教要旨
「やさしい声が聞える」 小笠原純牧師
ヨハネによる福音書 20:1-18節
イースターおめでとうございます。
イエスさまが十字架につけられる受難物語は、とても激しく、叫び声が聞えてくるような物語です。それに比べて、イエスさまがよみがえられる復活物語は、とても静かな物語のような気がします。
人はどのようにして、困難な出来事の中から立ち上がっていくことができるのか。どのような支えがあることによって、人は立ち直っていくことができるのか。臨床心理学者の東畑開人が「ケアとセラピー」ということを書いています。(「こころのケアとは何かー寄り添いあいと世間知』、今福章二編『文化としての保護司制度 立ち直りに寄り添う「利他」のこころ』、ミネルヴァ書房)。
心の援助とか対人支援あるいは人間関係には、「ケア」という関わり方と「セラピー」という関わり方の二種類がある。「ケアとは傷つけないことである」。「ケア」が依存を引き受けることだとすると、「セラピー」は自立を促すということである。自立を促すけれども、寄り添っている人が周りにいる。寄り添っている人がいることによって、人は自立をしていくことができる。「ケア」のないところの「セラピー」は暴力になってしまう。「ケア」が十分に足りていないのに、「セラピー」をすると失敗してしまう。そして失敗したので、また「ケア」に戻ってやり直す。「ケア」と「セラピー」はぐるぐる回る。人はそう簡単に立ち上がることはできません。
マグダラのマリアのところに現れるイエスさまは、マグダラのマリアに寄り添い、そして自立を促します。泣いているマグダラのマリアにやさしく語りかけ、そして「わたしにすがりつくのはやめなさい」と自立を促します。そしてマグダラのマリアは立ち上がるのです。
私たちもまた、いろいろな悩みや迷いのなかにあるときがあります。「立ち直れそうにない」というような気持ちになるときもあります。しかしそんなときも、イエスさまは私たちにやさしい声で語りかけてくださいます。私たちの名前を呼び、私たちに生きていく力を与えてくださいます。
イースター。私たちの救い主である主イエス・キリストがよみがえってくださいました。イエスさまのやさしい声に導かれながら、イエスさまにふさわしい歩みをしていきたいと思います。