2025年6月15日 聖霊降臨節第2主日礼拝説教要旨
「幼子のような者に」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 11:25-30節
梅雨によみたい絵本に、西巻茅子『ちいさなきいろいかさ』(金の星社)という絵本があります。西巻茅子さんの絵は、こどもが描いたような絵です。わたしはこの絵をみながら、「なんでこんなへたくそな、こどもの描いたような絵がいいんだろうか」と思っていました。この素朴な疑問を、わたしの妻にしたところ、妻は「これはわざとこどもの描いたような絵を描いているんだ。そしてこの人の絵本は、こどもが描いたような絵のように見えるけれども、構図なんかはとってもよく計算されて描かれてあるんだ」というふうに教えてくれました
西巻茅子さんはこどもの気持ちを大切にして、そしてこどもが自分の絵と似ていると思ってくれるような、こどもが描いたような絵を描いておられます。こどものときの素直でひたむきな気持ちを、年をとっても持ち続けることは、なかなかむつかしいことですが、西巻さんはこどもが描いたような絵を描き続けることによって、こどもの気持ちをずっと持ち続けているのでしょう。だからこどもから愛される絵本を描くことができるのです。いつまでも幼子のような気持ちを大切にしておられるのでしょうね。
私たちの救い主であるイエスさまは「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました」と言われました。「神さまのことは、子どものほうがよくわかるよ」とイエスさまは言われたのです。大人がむつかしく神さまの話をするよりも、子どものほうは神さまのことをよく知っている。この『かみさまへのてがみ』(谷川俊太郎訳、サンリオ)などを読んでいると、ほんとうにそうだなあというふうに思います。
幼子のような者とは、もちろん子どもたちはそうですけれど、疲れた者、重荷を負う者が、幼子のような者だと、聖書は私たちに教えてくれます。イエスさまは、「みんなで神さまのところにきて、子どものように休みましょう」と言われました。神さまを信頼して、神さまに委ねて、子どものように休もう。
わたしは教会というところは、安心して休むことができるところであればと思います。これ、教会で休むというので、教会を休むというのでないところがミソなのです。「で」と「を」では大違いなので、ひとつ誤解のないように。教会がなにもかも忘れて、神さまの愛の中でゆったり、ゆっくり休めるところであればと思います。
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