2025年6月8日 聖霊降臨節第1主日礼拝説教要旨
「教会ー思いやりをもって生きるー」 小笠原純牧師
使徒言行録 2:1−13節
ペンテコステおめでとうございます。今日は姉妹教会のPOVUCC教会から、19名の方が礼拝にいらしてくださっています。
イエスさまの弟子たちに聖霊がくだって、彼らは「ほかの国々の言葉で話しだし」ます。「ほかの国々の言葉で話した」というのは、相手の立場に立って、相手の気持ちになって話をしたということです。自分の都合ではなく、相手の気持ちを大切にして話すことによって、話が伝わっていくのです。
人はなかなか思っていることを口に出せないものです。人は「大丈夫」と言われると、大丈夫でなくても、「大丈夫」と応えてしまったりします。わたしは若い時に、病気になって入院をするということがありました。大学病院ですから医学部の教授の回診というがありました。みんな病気なので、「ここがいたいとか、ここが気になる」「いろいろ質問してみよ」というようなことを言っているわけです。でも実際に回診のときに教授から「小笠原純さん、大丈夫ですか」と尋ねられると、「大丈夫です」と応えたりしてしまっていました。
教会というところは、相手の気持ちになってとか、思いやりをもってということを大切にしているところです。それは教会がもともと、相手の気持ちになって、相手の立場に立って、神さまのことを伝えることによってできてきたところだからです。
そして教会は、「赦し合う」ということを大切にしているところです。キリスト教のもっとも大きな特色は、失敗者・落伍者が伝えた宗教だというところです。イエスさまの一番弟子と言われていたペトロは、イエスさまが十字架につけられるときに逃げてしまいました。ペトロだけでなく、他のお弟子さんたちもイエスさまを裏切りました。しかしそのイエスさまを裏切ったお弟子さんたちが、復活されたイエスさまに出会い、赦されて、神さまのことを伝えて行きました。
ですからキリスト教は失敗者・落伍者が「自分が赦された」という喜びを伝えた宗教なのです。それで自分が赦されたのですから、キリスト教は「赦し合う」ということを大切にしています。教会は、「思いやりをもって生きる」「赦し合う」ということを大切にしているところです。ちょっと疲れたなあとか、なんかちょっと不安な気がするなあというようなとき、ぜひ教会に行ってみてください。
皆様のうえに、神さまの恵みと祝福とが豊かにありますようにとお祈りしています。
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